はじめまして。くにから指名を受けましたなみじんと申します。
過去にストリートファイターⅢ3rdstrikeをやり込んでました。
現在は鉄拳シリーズをメインにプレイしてます。
あまりこれと言った成績の無い半端者ですが、格ゲー歴だけは長いので、歴史や考えを振り返ってみたいと思います。
ちなみにRNの由来はほぼ本名です。
■格ゲー初期
私はスト2直撃世代で、最初にプレイしたのはストリートファイター2’。
友人の加藤君に誘われて駄菓子屋ゲーセンで遊んだのが最初です。
私が加藤君に「どのキャラが強いの?」と聞いたところ「みんな同じぐらいだよ」と返って来たため、
「じゃあラスボスで」
と無邪気に正解を引いたのが始まりでした。
戦法はもちろん唯一出せる必殺技による左右往復です。
我らが街のゲーセンも、他の大多数の土地と同じく『当て投げ』『ハメ』行為は厳禁であり、禁を犯せば怖い先輩達に何をされるかわからない状況でした。
しかし、ラスボスの往復行為は必殺技を出してるだけだからなのか何故か見逃され、だいぶ勝ちを積んだ記憶があります(笑)キャラ差とか相性とか誰も気にしない、平和な時代でした。
とは言え所詮は技一個のワンパ戦法、すぐに限界が来ます。
当時、格ゲー最初期のレベルは「昇龍拳を出せたら凄い」「スクリューパイルドライバーを出せたら神」と仲間から称えられる程度のもの。
私も続編のスト2’ターボではキャラクターをケンに変え、昇龍拳に挑戦。
以降溜めキャラよりコマンドキャラを主に使う様になります。
時は流れ1996年。最初の転機が訪れます。
ハメ行為禁止の街に最高のハメゲーがやって来ます。それが
『X-MEN vs STREETFIGHTER』
このゲームは登場する17人のファイターのほぼ全員に永久コンボが存在しました。
浮かせ一発入ったら即死してしまうハメコンボですが、ほぼ全員持ってるなら平等なのでは?と言う考えに至り、永パを解禁。堂々と即死させ続けます。(ちなみに唯一永久を持ってなかった不遇キャラも昨2021年ついに開発されたそうです)
当時はインターネットも無く攻略速度が非常に遅かったため、永パの様な大きな情報は知る者と知らぬ者で天地の差が付く時代でした。私は友人のおかげで情報的にはそこそこ有利なポジションにおり、最初の内は大分美味しい思いをしました。対戦してくれなくなった人もいましたが。
しかし、いつしか相手も皆永久コンボを使う者ばかりになり、予想通り極端ながらも対戦バランスは平等になって行きます。
お互いハメるかハメられるかの勝負。負けた側は黙って両替機に向かう。
数年前はハメた瞬間喧嘩になってたのに、時代は変わったと思いました。
ゲームとしては当然永久コンボ等は無い方が良く、私もそれ以前は「永パが発見されたらそのゲームは終わりだ」ぐらいに思ってたのですが、
ハメがあっても面白いゲームは面白い
んだなと認識を改めます。
この傾向は1998年まで続き、ジョジョの奇妙な冒険(初代)でピークを迎えます。
鳴り物入りで稼働したジョジョの奇妙な冒険で、私が最初に選んだのはアブドゥル。
しかしどうにもピンと来ず「外れゲーかな」と感じていました。
そこに、たまたま三茶に来ただけであろう名も知らぬファイターが、余りにも新しい動き、斬新な戦い方を持ったキャラを使っているのを目撃します。
それが
呪いのデーボ
でした。
その全く新しい動きに可能性しか感じなかった私はその日からデーボの研究を始めます。
デーボは人形型オプションの遠隔操作と言う全くの新機軸をウリにしたキャラで、人形型スタンドと本体で相手を挟んで攻撃します。これが本当に面白く、また酷かった。
まずそもそもとして、人形と本体で挟んで攻撃すると言う性質上、非常に簡単に永久コンボが成立します。小足入ったらオワリです。
さらに
・人形の中段攻撃と本体の下段攻撃でお手軽ガード不能が成立。
・食らい判定の無い、寝てるだけの人形が突如起き上がって背後から小足。
・起き上がった人形に投げられ判定が無い。でも人形は投げて来る。
・エイジス系多段飛び道具が発動から超長時間全身無敵かつ地上空中問わず出せる。
・本体ジャンプ中に人形を起動し小足を出せる。
などなど、新機軸らしい調整不足の素晴らしいキャラでした。
ちなみに投げ以外はヒットしたら概ね即死します。
やればやるほどハメが見つかるので相手によって自重したりもしてました(笑)
この(個人的に)ぶっちぎり最強キャラを使い、私は当時のアーケードゲーム専門雑誌
『ゲーメスト』の発行元である新声社が運営するゲーセン『〇ゲ屋』(当時既にG-modelだったかな?)の月イチ大会に出場します。
大会の出場者は3~40人だったと記憶してますが、その内デーボ使いは私含めたったの3人。
一試合目からいつも通りハメを敢行した私は大会初出場ながら決勝戦まで駒を進めました。
決勝の相手は……残り二人しかいないはずのデーボ使い。
周りのギャラリーから「こんなの見た事ねえよ」と言う囁きが聞こえて来ました。
私もレアキャラであるデーボのこんな使い手と戦ったのはもちろん初めて。
二人のハメが交錯し火花を散らした結果、、、床に伏したのは私のデーボでした。
準優勝。しかし、完全に独学で攻略して臨んだ大会なので、思わぬ結果にむしろ満足。
しかも自分の選んだキャラが間違ってなかった事を確認して自信にもなりました。
ちなみにこの決勝戦の相手のデーボ使いは、後に3rdstrikeのネクロ使いこにたんだったと判明します。そら強い訳だ(笑)
その後第二回〇ゲ屋ジョジョ大会も行われ、そちらでは優勝する事が出来ました。しかし、その時はこにたん他デーボ使いが不在だったため、何か運が良かっただけのような、何とも言えない感じに。や、嬉しいは嬉しかったけどね(笑)
二作目の未来への遺産で物凄いマイルドになって影が薄くなってしまったデーボですが、初代のとんでもない性能は是非とも某ク〇キャラ列伝で取り上げて頂きたい逸材だと思います。
初代ジョジョとかレアゲー過ぎて残ってないかも。
■3rd時代
ジョジョでハメの限りを尽くした私はちょっとハメる事に飽きていました。
次はハメの無いゲーム、もっと言うと「詰み」の無いゲームを求めていた所に、満を持して
ストリートファイターⅢ3rdstrikeが稼働開始します。
3rdstrikeは現在も攻略が続くマジの名作ですが、その要因はやはり永パが無かった事、そして例えガード不能があっても理論上はハマらないタフなシステムにあるでしょう。
ブロッキングは賛否両論あるシステムですが、自分はもちろん賛。
同じ技への対処でもガードで凌ぐ人、ブロッキングを狙う人、無敵技を合わせる人と個性が出るのが面白い。
これ以上スマートで強烈なシステムはもう出て来ないかもしれません。
稼働当初に選んだのはまことでした。うんやっぱね、いいよね女の子新キャラだし、選んじゃうよね。
動きが速く強力無比なコマンド投げを持ち、非常に簡単に択が掛かるため、地元ではかなり勝ってたと思います。このままずっと使い続けてればまことのスペシャリストとして大会等で注目を集める存在になってたかもしれませんが、そうは問屋が卸しませんでした。
自身のまことがワンパになっており、またボチボチ対策されて勝ち辛さを感じ始めた私はキャラ替えを模索します。
レミー、アレックスと使った所で常連T君が「このキャラ弱すぎて絶対勝てん」と投げ出したキャラが居ました。それがトゥエルヴ
「そんなら俺がやってみよか」
と手を出したのが運の尽き。
トゥエルヴの面白さにハマってしまいます。
トゥエルヴは滑空と言うストリートファイターらしからぬ超弱い空中ダッシュが持ち味のキャラで、自由度が非常に高く、技術介入要素も豊富。俗に言う沼でした。
当時から超が付くレアキャラだったため全く対策されておらず、新しい戦法を思いつけば即「わからん殺し」出来た時代。黎明期のインターネットで数少ない情報を仕入れたり、埼玉の蕨に有名トゥエルヴ使いビスタチオ氏が来ると聞き付け遠征に赴いたり、ドリキャス版で鬼の様に研究したり、やればやるほど勝てる様になりました。
やっぱ絶対無理と言われると燃えるじゃないですか。私はそう言う質だったのです。
このままトゥエルヴの達人になればずっと3rdを楽しめる。そう思ってました。
しかし、2年ほどやり込んだ私のトゥエルヴは、某Q使いに折られます。
良く対戦する友人でしたが、人対策とキャラ対策を施された上、ワンミスも許されない超長期戦を続けられ、私がギブアップしました。
サスガニ カリョク ナサスギ
T君は正しかったです。
キャラは間違いなく楽しいのに使ってると勝てない。
このまま負けながら好きなキャラを使うのか、ちょっとでも勝ちたいのか。
悩んだ挙句、私はキャラ替えの道を選びます。
最初のキャラ替えはいぶきでした。
トゥエルヴを使ってて正直羨ましい技がてんこ盛りだったからです。
同じ空中戦キャラなのにどうしてトゥエルヴは空中TCも空中投げも空中飛び道具も許されないのか?いぶきに忍法ムササビの術を付けたら完全上位互換。もうトゥエルヴいらないやん?と当時力説してました(笑)
(と思ったらスト5で本当に付いてたね笑)
次にネクロに行きました。
トゥエルヴと技が似ているからですが、圧倒的に高性能なのでやはり格差社会を感じます。
トゥエルヴも投げから追撃入れたいよ!
や、ヒューゴーには入るけどさ一応。
それぞれ数か月試しましたが、三茶メンの使用キャラが豪鬼とダッドリーだったため相性が厳しく、やはりそれに対抗出来るキャラにする事に。
次のキャラ替え候補として白羽の矢が立ったのがリュウ。既に強キャラ達は現在とほぼ同じラインナップで判明しており、そちらに行く事も可能でしたが、地上戦を学ぶためと地元に使い手が居た事が理由でリュウをチョイス。
意外かも知れませんが、リュウとかストリートファイターで初めてメインにしました(笑)
私のリュウの参考元は三茶UFOの常連M君。若干メンタル弱めながらかなりセンスのある奴で「ダッシュして近大Pを打つと強い」や「起き上がりに近中Kで暴れると強い」など、システム的に今でも通用する戦法を稼働一年目で発見&実行しており、仲間からも一目置かれ、大会に一緒に出たりしてました。細かい知識は私に分がありましたが、格ゲーのセンスは完全に三茶イチだったと思います。
しかし、ある日を境にM君はUFOに来なくなり、さらに数日後「あいつ家にも居ないぞ」と言う情報が入ります。仲間達と共に駆け付けましたが既に家も引き払われ、以後完全に音信不通となります。直前まで全くそんな素振りも見せずいきなり居なくなったため、借金説や実家帰った説や拉致説や死亡説まで当然の如く流れましたが、正しい理由は未だに誰も私も知りません。
彼の戦法、アイディアは私がリュウを始めるのに大きな助けとなり、その後の発展のベースとして多大なる影響を与えてくれました。
今はどこに居るのかわかりませんが、もう一度会ってみたいですね。
■大会
当時、大会は各所で行われており、西スポ(現西セガ)やビートライブ等有名なゲーセンの大会、ランバトに参加していたのですが、やはり思い出深いのは明大前の名店『ナミキ』のランバト。通称ナミキランバトですね。
ナミキランバトは2ndからのトッププレイヤーシャオさんと、仲間のかっぺさんぐちさんらが運営する大会で、全盛期は5~60人(もっと居たかな?)集まるような割と大規模な大会だった記憶があります。この大会はアットホームな雰囲気ながら出場者のレベルが非常に高く、三茶勢と毎月の様に参加していました。比較的近所だった事も幸いでした。
それまで実力的には概ね一回戦、頑張って二回戦で散るペーペー。いわゆる三流戦士でした。
一発勝負となるとビビってしまい、いつも通り動けないタイプです。
ジョジョの時はキャラが壊れてたので何とかなりましたが、3rdは並キャラ。しかも不正解を引くと一発で逆転されてしまうゲーム性なので成績は伸び悩みました。
そんな時、変化の兆しを得たのがこのナミキランバトです。
その日もランバトで有名人と当たり「今日も負けか…」と思ってた所で疑問が生じます。
何故自分は大会でこんなにも勝てないのか。
一発勝負だから慎重に、様子見しながらやってんだけどな。
ああいつも通りならもっとバリバリ攻めてんだけどなー。
ん?
だったら攻めれば良くない?
そうシンプルに思った私は様子見ゼロのガン攻めスタイルを試してみます。
リュウの攻めは相手がブロッキングを狙ってた場合、基本的に期待値負けします。
しかし、それ以外の行動には大抵勝つ事うえ、ヒットガード問わずループ性が高いです。
この時はこれが上手く噛み合い、見事、今まで勝った事無い有名プレイヤーを撃破します。
有名プレイヤーと言えども毎回正解は引けないし、そもそも毎回ブロッキングを狙ってるかなんてわからないんですよね。ブロられる「可能性」に怯えるのは無駄だと悟りました。
この結果に味をしめた私は
俺は攻める。後は知らん
無責任スタイルを大会でやり始め、成績がモリモリ上がって行きます。
ハナから「攻める」と決めてるので大会の緊張もあまり関係無くなりました。
攻めて、攻めて、攻め続けた結果、ほんの一時ですが全一と呼ばれたこともありました。
たまに自分の前ダッシュに狂気を感じる瞬間もあります(笑)
でもなんか自分はそれでいいんだなって納得しています。
そんな覚醒のきっかけがこのナミキランバトだった事は間違いありません。
ナミキの閉店と共に終了してしまったランバトでしたが、私の3rd歴において大きな分岐点となった大会だった事は間違い無く、スタッフと関係者の方々に感謝したいです。
■闘劇
今や伝説の大会とも言われてる『闘劇』ですが、第一回は2003年。
この時点で3rdは稼働4年目と普通の格ゲーなら旬が過ぎたゲームでした。
しかし、バブルが弾けた格ゲー業界は2000年辺りから新作がめっきり減り、皆一つのゲームをやり込む期間が長くなってました。3rdもそんなゲームの一つだったため、逆に攻略的には脂がのっていた良い時期に大会が始まったなと、そう感じました。
私ももちろん地元でチームを組み、都内各所や関東近県に遠征を繰り返しますが、残念ながら本戦出場権は取れませんでした。もちろん当日予選を狙うため当日の朝早くから会場に乗り込み出場しますがやはり途中で敗退。壁の厚さを実感させられます。
翌闘劇’04、そして’05も本選出場は果たせず、予選とは言え大会で優勝する事の難しさを嫌と言うほど味わわされました。
そんな私が初めて本戦出場を果たしたのは闘劇’06。
昨年まで組んでた三茶チームの一人が諸事情あって離脱したため、三茶勢エダ君とゲストにdirty♪オロを迎えての挑戦。
今回も各地を転戦し、上尾予選などではかなり惜しい所まで残るも敗退。
やはり今年も厳しいかと思わされましたが、予選も終盤に近付いた自由が丘大会、
ここで全員の仕事が噛み合って優勝。一発抜けを果たします。
タナトスさんのオロの遠中Kに灼熱が相打ちKOになってくれた場面は今でも目に焼き付いてます。1F勝負でした。
本戦は一回戦気合いで抜けるも二回戦で敗退。当然ながら一回戦から各地の優勝チームと戦うのでレベルが果てしなく高い。一回勝てただけ良かったのかもしれませんが欲を言えばもう一つ勝ちたかった…。
しかし四年目にして夢の舞台に挑戦出来た達成感は忘れられません。
ありがとうエダ君、そしてdirty♪
翌闘劇’07は再び三茶チームで予選を巡るも切符を取れず、当日予選であと一回勝てればと言う所でハイタニ氏のまことに敗退。見てた人全員が「交通事故だ」と思ったに違いない負け方をしました(笑)
これ以降闘劇予選へ参加する事は無く、私の本戦出場は闘劇’06ただ一回で終わり、
同時に2007年で私の3rd攻略は事実上終着点を迎えました。
長くやってた気持ちでしたが、振り返ると稼働からたった8年なんですね。
verUPの無いタイトルなので、今のゲームとは少し事情が違いますが。
もちろん3rdそのものは楽しいゲームなので、対戦自体は続けますよ。
■鉄拳時代
私のホームゲーセンである三軒茶屋UFOは当時ちょっと名の知れた鉄拳の聖地であり、常連達に誘われ鉄拳4(2001年)の頃から少しだけ触ってました。
使用キャラは当時(今も?)珍しいスタイリッシュなボクサーであるスティーブ。一目惚れです。
しかし、いかんせんゲームが玄人向け過ぎ+常連が強すぎて鉄拳4は長続きせず、ほどなくして3rdに帰ってしまってました。
時は経ち2004年、AMショーに参加した私はモニターに映し出された月夜のステージを見て
これは凄いと完全に心を奪われてしまい、鉄拳を再開する事にします。
ステージのビジュアルでやるゲームを決めたのは後にも先にも鉄拳5ただ一つです。
そのステージの名はご存知moonlit wilderness。未だもって素晴らしいビジュアルと音楽ですので「知らないよ!」って人は是非BGMだけでも聴いてみて下さい、お願いします。
さて鉄拳ですが、私は鉄拳の魅力は高い自由度だと思ってます。
機動力が特に凄く、ステップインもバクステも横移動も常に任意のタイミングでキャンセルして次の行動へ移れます。さらにバクステ中常にガード可能というゲームも他に聞いた事がありません。
その高い機動力にプラス豊富なキャラと豊富な技があり、同じキャラでも人によって全く違う戦い方が可能となっています。鉄拳はキャラよりも人の対決だと思える珍しいタイトルだと思います。
しかしそれは今だから言える事。実は鉄拳5を始めた2004年から長い間、私は鉄拳が全然好きじゃありませんでした。理由は単純明快で、勝てないから(笑)
しかもただ勝てないだけじゃなく、勝てない理由がわからない。読み合いなのか、たまたまなのか、相手が何を考えて動き、それがどうなって私が勝てないのか全く理解出来ませんでした。
3rdをある程度やってた事によりフレームの概念は理解していたため、とにかく最初はフレームを覚え、フレーム通りにやるのが正しいと信じてました。しかし、その信仰が足枷となります。鉄拳は他ゲーと比べ圧倒的にフレーム以外で勝敗が決するゲームだったのです。
とは言えそんな事に3rdを攻め攻めで成り上がった私が気付くはずも無く、(自分の中で)理に適ってるはずの動きで何故か勝てないと言う日々がずっと続きました。
お金を沢山飲み込まれながら鉄拳のコツを何も得られない毎日。
この頃はメンタルが最悪であいつはいつも怒ってると思われていただろうなと思ってます。
半ば意地で鉄拳を続けて早四年、5で始まった鉄拳は5DR、6、6BRとナンバリングが進んだ頃、ようやくフレーム以外にわからないモノが多数ある事に気付きます。
投げ抜け、起き上がり、起き攻め、山ステ、ファジィ、三すくみetc…どれも基礎ですね。
とは言え鉄拳のこの辺のシステムは他ゲーとかなり違うため、再度勉強が必要でした。
独特な投げ抜けや山ステはともかく、起き攻め起き上がり辺りを再勉強する事になるとは思いませんでした。同じ名前でも全く違うシステムなんですよね鉄拳は。
さらに私は過度なフレーム信仰を止め、鉄拳の意思、開発の意図に身を委ねる事にします。格ゲーは全てフレーム単位で動いてるけれども、そのフレームを悉く破壊するような作りの格ゲーは存在する。それが鉄拳でした。
今まで散々足を引っ張られた他ゲーの常識を捨て、初歩的な事を一つ一つ考えて潰して行った結果、ついに勝率は50%を超えました。試合数は軽く数万試合掛かってしまいましたが達成感は大きかったですね。
この辺から飛躍的に鉄拳が面白く、正しくハマって行きました。
続編の鉄拳TAGトーナメント2は稼働直前にホームゲーセンである三茶UFOが閉店してしまい、渋谷新宿辺りに本拠を移しプレイしてました。そのゲーセンに居合わせたプレイヤーと対戦した最後の鉄拳です。台パン台蹴り死体蹴り、今思えば懐かしいものばかりですね。や、私はやらないですよ。ほとんど。
ゲームの方はまさに自由度を極限まで高めた傑作。ただでさえ人によって千差万別な所にTAGシステムを搭載。これによりほぼ無限のバリエーションとなった個性がぶつかり合う最高のゲームでした。
ただシステムが難しすぎて人を選んでしまったため、対戦人口は激減してしまいました。
このゲームこそ今の高クオリティなオンライン対戦で遊べたら3rdの様な衰えぬ名作になっていたかも知れません。
段位はスティーブとボブのTAGで最高朱雀ぐらい?帝段の壁が非常に厚かったです。
このゲームまでに鉄拳の楽しさを理解出来て本当に良かったと思います。
そして今、鉄拳7でも相変わらずスティーブのやり込みは続いています。オンライン化の影響で常にラグかった鉄拳7ですが、steam版を導入してから圧倒的に操作性がアップし、ラグによるストレスはほぼ0と言う所まで来ました。アケ版やPS4版もこのレベルであって欲しかった。
段位は最高真鉄拳神。
一見凄そうに見えますが、旧作や旧verと段位の価値が変わってる上、ここから先が滅茶苦茶厳しい所なので自分はまだまだと言った所ですね。
とりあえず鉄拳神天と言う目標があり、キャラ対を始め課題もまだまだ沢山あるため、当分鉄拳7は楽しめそうです。
(鉄拳神滅はちょっと…無理ぽ……つれえわ)
最後に、鉄拳8がもし出るなら、あまり簡易にし過ぎず、やり込みが生きるゲームにして欲しいですね。自由度が高く、強い奴がただただ強いのが鉄拳でしょう。期待してます。
■あとがき
ここまで読んで頂いた方ありがとうございます。
こんな文章書いた事無いので拙い出来ですが、私なりに頑張って思い出して書きました。
これからもマイペースに攻略や配信をしていけたらなと思っております。
次は鉄拳の週一オンライン大会『まんば杯』の主催者であるまんばさんにバトンを渡したいと思います。