皆さんはじめましての方ははじめまして、ジンと申します。
今回KOFで教祖とも言われるづねさんからバトンが回ってきたのでこのブログに寄稿させて頂きました。
文章書くのは不慣れなものですが、お付き合いいただければと思います。
まずは簡単に自分のことでも。
主に2D格闘ゲームと複数のソーシャルゲームをプレイするゲーマーです。
一番最初はギルティギアをメインにプレイしていましたが、メルティブラッドが出てからはそっちへと移行。
メルブラが闘劇のタイトルから外れたあとは色々なゲームを渡り歩く大会が好きなプレイヤーであります。
なお、今でこそ格ゲーとソシャゲー魔人のようになってしまっていますが、小さい頃は特にこのゲームジャンルとかはなく何でもやるゲーム好きっ子でした。
親がゲーム好きなのもあってよく後ろで眺めてたのがゲームをやるようになったきっかけかなと思います。
実家は九州の片田舎でゲーセンなど存在しないところではありましたが、当時はまだゲーセンじゃなくとも駄菓子屋やスーパーの軒先にもアケ筐体は結構置いてました。
初めてのアケゲーは小学生の時によく行ってたプラモ屋で見かけたKOF97で、京の無式があまりにかっこよく見えて思わずお金を入れたことを今でも覚えてます。
まあ、こんなゲーム好きな人間なわけですが学生時代はゲームと同じかそれ以上にバレーボールにのめり込んでました。
母親のママさんバレーを見て興味を持ち、友達と一緒に地元のバレーボールチームへと参加したのが小学四年生の時。
たまたま入ったところが強かったのもあり、小中は県大会上位常連でした。
高校はわざわざ隣の県の一番強い高校まで行き、インターハイで3回、春高で1回全国出場を果たしています。
高校時代はあまりゲームをやる暇もなかったのですが、大学も推薦が決まり周りより先に時間ができてしまったころ、同様に進路が決まってた友人のM君とよく遊んでました。
彼は元々アケゲーマーでKOFやギルティギアをよくプレイしており、色々と教わりながら始めたのがアケ格ゲーマーとしての第一歩だったなと思います。
当時は高校の寮で生活をしており帰ってもみんな勉強中で遊ぶことが出来ず、必然的に彼と遊ぶ機会が多くなっていました。
初めて参加した闘劇予選は博多バスセンターのnamcoで行われたギルティギアXX#リロード(通称青リロ)ので、彼を含めた高校のクラスメイト達とチームを組んでの参加。
ここまではクラスメイト達以外とはアケでの交友関係はそこまで増えることはなかったのですが、高三の冬で寮を辞めて実家に戻ったことでホームゲーセンが変わることに。
家から近くもない距離でしたが、毎日のように自転車で1時間ほどかけて二日市サブカルチュアというゲーセンへと通ってました。
もう卒業式まで学校に行く必要もない状況で非常に時間が有り余ってたのと、当時ギルティへのモチベが高く熱意があったからこそ出来たようなムーブでしたが、当時は楽しくてしかたなかったので特に苦と感じることもなかったのかなと思います。
卒業までのわずかな期間しかいませんでしたがここではゲーセンでの知り合いもそれなりに増えることとなり、今でも何人かは連絡をとる人がいたりします。
と、ここまではアケへと入り始めた最初の話。
大学進学で埼玉へとやってきたわけですが、高校で遊ばな過ぎたこと、一人暮らしで制約がほとんどなかったこともあり大学ではゲーセンで遊びまくることに。
当初は駅近くにあった東大宮とまとへとギルティギアをやりに行ってたのですが、したらば掲示板で募集されていた対戦会が行われていた日に偶々遭遇することになりました。
そこで会った人たちと話したことでゲーセンでの知り合いが一気に増えることになります。
SNS等が全くなかった当時、したらば掲示板での書き込みは攻略だったり知り合いへの連絡だったりで非常に重宝しました。
アーカイブではありますが東大宮とまとスレはまだ残っていたので、この時代の人たちがどのようなやり取りをしていたのか知ることが出来るかもしれません。
気になる人は”うらいた”でググって見てください。
しばらくは東大宮とまとで対戦を続けてたわけですが、もっと強い人たちが集まるって情報を聞いてからは大宮オリンピアにも通うようになりました。
ここは今だと珍しいメダル制のゲーセンで事前にメダルを購入する必要があったのですが、そのメダルを増やす手段が豊富であり非常に安い値段でプレイできたのが魅力的でした。
特にワンダーランドというスロットゲームは100円入れれば大体4~6枚はメダルが当たっており、結果として1プレイ20円ほどでゲームができるという学生には非常にありがたいゲーセンでした。
値段が安く埼玉の中では一番栄えているところであり、このゲーセンには非常に多くのプレイヤーが集まっていたと思います。
オリンピアにはとまと勢とも一緒に行くようになり、終電近くまで対戦してから自分の家に集まって朝までギルティで対戦をしたり、終電を過ぎるまで対戦してからみんなで2駅ほど歩いて帰るなんてよくやってました。
このオリンピア勢とは15年近くたった今でも親交があり、一部とは最早ゲームより一緒にキャンプに行ったり鍋をしたりと他のことで遊ぶことが多くなったりしてます。
社会人になり埼玉から東京へと住居は移動したので合うことは少なくなりましたが、今でもこの関係は続いています。
ゲーセンで知り合い当初は本名も知らない仲ではありましたが、同じゲームをやることでこうも仲良くなれたことは非常に面白いことかなと思います。
ギルティギアに始まり、メルティブラッド、スト4、ブレイブルー、アクアパッツァ、P4U、UNI、恋姫、電撃FC、ミリオンアーサーアルカナブラッド、サムライスピリッツと色々なゲームを渡ってきましたが、その度にこのような出会いを体験しゲーマーの輪も増えていきました。
もちろん同じゲームをやらなくなることで疎遠になった人もいますが、今はTwitter等でも簡単に相手の近況が分かるのは非常に便利なことだと思います。
また、数年越しに別のゲームで再開することもあり、それまでと同じように遊ぶことができたりするのはゲームを続けてきてよかったなと強く感じる事であります。
さて、あまり書く内容は多くないですがタイトルにも書いたことを。
最近は一般人でもeスポーツという言葉を知る時代となってきたわけですが、スポーツもeスポーツもどちらも本気で取り組んできたことがあるから分かることはあります。
正直なところ私はバレーボールにしても格闘ゲームにしてもセンスはあまりある方ではないと思っていますが、それでもどちらも非常に楽しんでやってくることができました。
もちろん壁にぶつかったことは何度もありますが、上手くなるということへの楽しさや上手くなりたいという熱が常に勝っていた時は際限なくやり続けることが出来ていたと思います。
また、どちらも環境が非常に重要だと思いました。
人数が少なくとも同じモチベで上達したいと思う人がいる環境は非常にありがたかったし、こういう人たちがいたからこそ今ぐらい強くなれたんだと思います。
そしてやり続ければスポーツでもeスポーツでもセンスがなくても全国大会へと出場することは出来るのです。
よく聞くことではありますが、もし自分にセンスがあるとしたらそれはやり続ける力に関しては他の人よりも少しは高かったのかなと思います。
こういうモチベがあるからこそ強くなれるってことはスポーツや格闘ゲームに限らずどの世界でも同じだと実感してます。
ちなみに格闘ゲームに関しては身体的な不利等も少ないものであるので今でもこのようなモチベを保つことは出来ていますが、
バレーボールに関しては私の身長は173cmとバレーボール選手としてかなり低い部類であり、実際のところ高校では一番身長は低くありました。
高校まではどうにかやってくことは出来ましたが、大学以降で上を目指すことはもう無理だと思い大学からは楽しく出来るレベルのところには落ち着いてしまいました。
ただプレイするだけでも楽しいので今でもやることはありますが、上達するモチベ自体は失われてしまったと思います。
格闘ゲームも今のモチベがどこまで続くかわかりませんが、来年は evo japan 及び本家 evo の初参戦も考えています。
停滞せずに強く有り続けたいという気持ちは失われない限りはや続けていきたいと思います。
まとまりの無い文章となってしまいましたが、とりあえず書きたいことは書けたかなと。
ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございました。
次のバトンは同年代のホープであり色々なゲームでの活躍、またゲーム外でも存在感を示す「レイさん」に渡したいと思います。
同い年でありながら私よりも遥かに長いゲーセン歴を持つレイさんがどのようなことを書いてくれるのか楽しみにしています!