ゲームでできる輪、人の輪

僭越ながらごしょさんからバトンを受け取りました、づねと申します。

まずは自己紹介から。筆者は格闘ゲーム、その中でも特にKOFシリーズをメインに扱うKCE(Kof Crazy Encyclopedia)という団体(ただしメンバーは不定)を主宰しておりまして、格闘ゲーム関連のイベント・大会の開催や動画の制作・公開も行っております。もう、かれこれ20年近くになります。その間に、「教祖」という不名誉なのか名誉なのかよく分からない呼び名も頂戴しております。・・・ただ、それらが胸を張れるようなものかと言うと、「ちょっと怪しいかな」というところがあり、現在華々しくプロとして活躍されている方々を見ると、結局全部半端にしかこなさず、何者にもなれなかったのかな、という思いもあります。最近は、仕事と育児でなかなか身動きが取れず、動画の公開と配信は行っているけど表に全然出てこないやつだよなー、と我ながら思っています。

※本記事には、筆者(=づね)と世代の異なる方には分かりづらい、又は共感しにくいネタが含まれているかもしれないので、先に生年を書いておきます。1982年です。また、筆者は括弧書きを多用するスタイルであるため、読みづらいところがあるかもしれません。予めご承知おきくださいませ。

さて、本記事のテーマは、ブログのタイトルが「ゲームの輪」であることから、「ゲームでできる輪・人の輪」とします。筆者個人が思ったことや経験したことをとりとめもなく思いつくまま適当に、軽いノリで書いていきます。それなりに長いものになっておりますので、是非、眠れない夜にご覧ください。寝床でスマホから見る人はダークモードでね!取りようによっては輪に対して否定的なところがあるように見えるかもしれませんが、そういうわけではございません。もどかしさのようなものと、感謝が伝われば幸いです。ちなみに本記事は2部構成としておりまして、重要なのは前半です。お時間のない方は前半だけでもお読みいただければ幸いです。後半は、筆者を取り巻くとある団体(輪)について書いております。

・前半

ゲームをしていると、自然と人とのつながりが生じる・・・。このブログをご覧になっている多くの方にもそんな、「ゲームを通してつながりができた」という経験をしたことがあるのではないかと思います。少々暴論気味ながら敢えて言えば、この世のゲームと呼べるものの大半がCOOPを前提にしたものではないにもかかわらず、のめり込めばのめり込むほど、人とつながりやすくなっていきますよね。

ゲーセンなら「あいつ毎日いるやんw」とか「あいつとはよく対戦するんだけど、毎回いい勝負になるんだよな」といった感覚を言葉や視線を交わさずとも共有し、ふとしたきっかけから(それこそ、落とした50円玉を拾ってもらったりだとか、対戦中にボタンが壊れたから店員を呼ぶために操作をいったんやめる旨を告げようとしたりだとか、みたいなところから)つながりができたという経験をした方も多いはず。また、ひと昔前にゲーセンに入り浸っていた方であれば、同級生、同級生の知り合い、友達の友達・・・といった具合に芋づる式につながりが増え、輪が大きくなっていったという経験をした方も多いはずです。

家庭用の、一人用メインのゲームであっても、インターネットの発達によって人とつながりやすくなってきています。のめり込める作品と出会ったとき、ネットを介して(オン)でもオフでもその作品を布教したくなるでしょうし、布教の一環として配信して多くの人の目に触れるようにしたくなりもするのが人の性(さが)というものでしょう。今や米国の大統領ですらも積極的に利用するようになったSNSだって、人(同好の士)とつながる上で非常に便利です。

そうやってつながりができて仲良くなって、一緒にゲームをする。またあくる日もゲームをする。時には、攻略のことだとか有利不利だとか取り組み方についてまで衝突をしながらも、とにかくゲームをする。そうこうするうちに、相手の、ゲームに関するところ以外の様々な面が分かってくる。他のことでも一緒に遊んでみたくなる。一緒に食事に行ったり、ゲーセンの閉店後にファミレスや飲み屋やカラオケで一晩過ごしたりするようなことを繰り返していれば、仮に最初はその気がそれほどなくても、自然とそうなります。きわめて自然。最近では、ゲーム以外のこと、例えば人柄や趣味嗜好についてSNSを通して窺い知ることができるようになっています。「同好の士のアカウントだー、乗り込めー!」と思って見に行ったら、ゲームではなくアニメについての発言ばかりだったとか、本当によくある話かと思います。

そうして、ゲームでできたつながり(輪)の人たちと、一緒に声優のライブに行ったり、自転車に乗って出かけたり、バーベキューに行ったり、ボルダリングをしたり映画を観に行ったりと、そういうことをするようになる。筆者もゲームでできたつながりの方々と、消失したり、これから晴れたりする映画を観に行ったことがありますし、沼津の内浦のほうの水族館に行ったこともあります。

素晴らしいですよね。文字だけだとなんだか皮肉交じりなんじゃないかと疑われそうですが、そういうのなしに、素晴らしいことだと思います。

でも、そうやって一緒に遊ぶのが楽しいと、だんだん、つながるきっかけになったゲームよりもそっちのほうが楽しくなってしまって、そのゲームのことを忘れてしまうことがあるかもしれません。「あれ?今十分あいつらと楽しくやれてるし、別に無理にゲームしなくて良くね?それより飲みに行こうぜー」となってしまったり。ゲームそのものへの思い入れが強めな(ちょっと気持ち悪いオタクな)筆者としては、それが少し寂しいのです。KOFNW(筆者が起き上がれなくなるくらいまでプレイしまくった、2004年の作品)が流行っていた頃にEvery Little Thingというグループがリリースした恋文という歌には、「僕が見つめる先に 君の姿があってほしい」というフレーズがありました。この歌自体は名前の通り恋をテーマにしているのですが、僕であってもあなたであっても、その見つめる先にはあのときつながりができるきっかけになったゲームがあってほしいな、なんて思ってしまうのであります。

そのフレーズの少しあとに来る「いくつ歳をとっても また同じだけ 笑えるよう」というフレーズも併せて、(本来まっっっっっっっっっったく関係ないのですが)思わず、大人になっていく我々とそのゲームとを重ね合わせてしまいます。大人になるほど、ゲームにばかりかまけてはいられないし、趣味嗜好も変わるだろうし、環境も変わるし、人付き合いのスタンスも変わるし、ほとんどのことが「仕方のない」ことなのでしょう。1990年代半ばに、多くの青少年たちを絶望させた「おとなになるってかなしいことなの・・・。」というセリフが頭をよぎります。

そういう「仕方のない」変化があっても、ゲームを通してできた人とのつながりは変わらない!というのは、確かに美しいです。ほんとに。

でも、一方で、ときどき、そのつながりの原点がなんだったのかを思い出して、振り返ったりしてくれたらな・・・などと、わがままなことを考えてしまうのであります。筆者はKOF’98という作品を、断続的にではありますが10年以上プレイしてきており、KOF’98のイベント・大会の開催や動画の公開、情報発信など、いろいろなことをしてきました。筆者がKOF’98を通して知り合った方は国内外を問わず多くいて、その数はおそらく4桁にのぼると思います。筆者には今でも、その中にカウントされる方々と交流があります(妻と知り合ったのもKOF’98がきっかけでして・・・)。その交流の中でも、筆者はできるだけ原点を忘れないようにしています。・・・まあ実際には、単にKOF’98に毒されすぎて、今も日常生活やゲーム関係で出てくる様々なことを、同作のフィルターを通して見てしまっているだけなんですけどね!例えば、バドミントンをやっていて、スマッシュすると見せかけてネット際に軽く落とすように打つのを「すかし下段っぽい!」と思ったり、女の子を見たときに「あ、この子、大門っぽい!」とか(もちろん悪い意味ではなく良い意味で!)。言い出しっぺは別の方ながらSAOのアスナを大門呼ばわりしたこともあるので、アスナが好きな方から怒られてしまうかもしれません!

と、まあ、そんな感じで!

・後半

本題はここまで。大事なところは前半で終わりです。残りは、筆者個人のゲームの輪にまつわる別の経験のお話。おまけのようなものです。オチとか言いたいことがあるわけではなくて・・・ですね、強いて挙げるならば「感謝」になるのかな、と思います。

メルブラ・電撃FC・アルブラのプレイヤーで構成される「吉祥寺介護団体」にまつわるお話です。ちょっと倫理の領域に片足の小指分くらい突っ込んでるというか、「どうなのかなこれ」というネーミングではあるのですが、創始者がそう名付けて定着してしまったのだから仕方ないのです。Kichijoji Care Employees(又はEntity)とか無理矢理略称をKCEにしてみたりすることもありますが、かなり不自然ですね。

さて、2014年の秋が深まったころ、当時プレイしていたKOF13CLIMAXが自分の中で一区切りという感触があったので、KOF以外の格ゲームもやってみようか、ということで(ニコニコ生放送のアンケート機能の結果に従って電撃FCに手を出してみました。最初は家庭用から始め、「どうせすぐやめてしまうだろうと自分でも思っていた」のですが、リスナーさんたちのすすめで(最後の記念のつもりで)秋葉原のフリープレイイベントへ。そこで、昔からKOFでつながりのあったOZ氏(様々な格闘ゲームで活躍する強豪プレイヤー)に遭遇しました。紆余曲折を経て電撃FCの魅力を彼から教わり、その日の夜から筆者は電撃FCに真面目に取り組むようになりました。

しかしその頃には既に筆者には家庭があり、翌年には第一子が生まれたこともあって、その取り組みは思うようにはいきませんでした。ゲーム性がこれまで自分の触ってきたどのタイトルとも違った上、当時、やり込みやバージョンアップによってゲーム性が変化していく過渡期にあったこともあり、先駆者の方々からいただいていたアドバイスが絶妙に功を奏さなかったため、かなり大変でした(古城先輩と過ごしたあの辛い日々を筆者は忘れません)。大会に向けて電撃FCをがっつりやり込みたいという思いがある一方であまり触ることができず、悶々とすることも多かったです。やっぱりゲーセンにいっていろんな人と対戦し情報を直に得るという経験は本当に重要ですからね・・・。

そんな中で(2015年7月28日)続編として電撃FCIがリリースされたのですが、筆者の置かれている状況は特に変わらず。ゲームをするために動けるようになるのは、子どもが寝たあとに諸々のことを済ませてから。つまり、だいたい22時半頃です。そんな状況でしたので、秋葉原等の流行っているゲーセンには思い通りに行くことができず悶々。筆者の住んでいる吉祥寺にもゲーセンはあったのですが、対戦相手はなかなか見つけられず、行ってもCPUを虐めて終わるだけの日々でした。結局、その後さらに半年くらい苦しみました(同年12月17日には家庭用もリリースされていたのですが、我が家のネット環境が貧弱であり電撃FCI自体がラグに弱いゲーム性であったことから、家庭用だけでは限界がありました。)。その中で、妻に無理を言って全国大会の予選に行かせてもらったりすることもありましたが、もちろん成果は出ず、半ば格闘ゲームに対して諦め状態となりつつありました。

そこに突然、救世主が現れました。

当時、住んでいる場所が「それほど」離れていなかった(それでも電車で20分ほどの距離)「びぃ」氏から「23時から吉祥寺で対戦できませんか?」と連絡が来るようになったのです。びぃ氏は当時電撃FCでメキメキと頭角を現していた強豪黒雪姫使いで、こちらとしては非常にありがたいご提案でした。吉祥寺には25時まで開いている店舗があったのもあり、そうして、平日休日を問わず23時から25時前まで対戦するようになりました。25時頃まで対戦すると、びぃ氏は「じゃ、また今度」と24時間営業のネカフェに消えていく感じでした。25時ともなれば終電は当然もうないので、ネカフェに行くしかなかったようなのです。

ゲーム代の他にネカフェ代の負担もあるのにそれをものともせず、対戦に付き合ってくれました。一度もネカフェ代を請求されたことはありません。そのあまりの熱心さに、貞操の危機なのではないかと筆者も若干警戒しましたが、どうやら杞憂だったようです(単純に秋葉原に行くよりも家から近いところでがっつり対戦できるから、とのこと)。

そんなこんなでびぃ氏と修練を積んでいる中(びぃ氏対策ばかり仕上がっていく中)、他の人&キャラとも対戦したほうが良いだろうということで、びぃ氏が他のプレイヤーをときどき吉祥寺に呼んでくれるようになりました。また、攻略情報の共有・・・というか筆者の上達のための、LINEグループをつくってくれたりもしました。そのLINEグループの名前が「吉祥寺介護団体」だったのです(びぃ氏が命名)。それほど時間が取れず、流行っているゲーセンにも行けなかった筆者の面倒を、見てもらいました(介護という表現が適切かどうかはなんとも、ですが)。

そのおかげで、その後の2on2の全国大会「闘神祭」の予選をびぃ氏と一緒に通過できたり、その翌年の闘神祭でベスト4まで勝ち上がれたりと、思っていた以上の結果を残すことができました。

その介護団体のメンバーとはもちろん今でも交流があり、(筆者の生活環境ゆえかなりの低頻度ではあるものの)飲みに行ったり、しゃぶしゃぶを食べに行ったり、映画を観に行ったり、アルブラに手を出すきっかけをいただいたり攻略情報をいただいたり、沼津の内浦のほうまで聖地巡礼に行って砂浜に吉祥寺介護団体と書いたりと、楽しく遊んでいただいております。大変良くしていただいております。

今の筆者があるのはそのメンバーの方々のおかげです。感謝!ゲームでつながる人の輪!

以上!

次は、メルブラやBB、UNI、電撃、アルブラなど多様なタイトルで結果を残している”神”こと「ジン」さんにお渡しします!彼曰く、「ブログ記事のような形で文章を書くということはこれまでにあまりなかった」とのことなので、どのようなことを発信されるのか、楽しみですね!