スキルスミス必勝ガイド vol.1

お初の方もそうでない方もこんにちは。
武神流師範キヨからバトンを承りましたMr.スキルスミスことbugと申します。
格ゲープレイヤーの分類としてはシステム解析考察とコンボ職人でございまして、現在はゲームの開発職をしてます。
また、カプコン格闘ゲームの公式総合情報サイト「シャドルー格闘家研究所」にてコラム「ストゼミ」を連載しております。
ここしばらく忙しくて更新が滞っちゃってますが、よかったらご一読どうぞ。

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さて、最初に書きました通り現在はゲームの開発職をやってますが、ここまで本当に”紆余曲折”ございまして、一時は完全にゲームから離れた時期もあった自分がどういった経緯でここに辿り着いたか、そんな自分のゲームへの想いなんかを綴ってみたいと思います。

あまりにもエピソードが多いので、今回は軽く触れるぐらいで詳細はまた他の所でお話させていただきたいなと思います。
(それでも編を分けるぐらいな量になってしまいましたが…)
また、登場人物も可能な限り少なく進めております故ご了承ください。

■:格ゲーと出会うまで

駄菓子屋ゲーセンをやってるおばちゃんが友人だった祖母に連れられ、物心付く頃にはレバーとボタンを触っていた幼少時代を経て、ファミコンもドンピシャ世代でゲームの沼に頭の先まで浸かっている様な人でした。

この頃アクションやシューティングはアーケードが圧倒的にハイスペックだったので、やるならそっちという事で家庭用ではRPGやアドベンチャーなど腰を据えるゲームをひたすら遊び込んでました。
生来の気質なんでしょうけど、この頃から最適化したり変な遊び方してましたね。
例えば初代ゼルダでレベル1のダンジョン入る前に取れるハート集めてホワイトソード取ってから行ったり。
ウィズIIIのマジックアーマー稼ぎを独自に確立して連付きパッドでオートメーション化したり。
サガ2ではにわ電源パターンを見つけて武器全部七支刀にしたり。
ネットも無かったし、身の回りでそういう事してる人も共有して喜ぶ相手もいなかったんで本当に孤独にやってました。

そして中学の頃。
幼馴染であり、後に私が主催として立ち上げるサークル”スキルスミス”のメンバーとなるGONからTRPGに誘われます。
(スキルスミスの話はまた後程)
TRPGとはざっくり言うと定義されたルールに則り、進行役とプレイヤーに分かれて多彩なサイコロを使いながら遊ぶゲームです。
元々はソードワールドなど既存のルールブックを使用して遊んでましたが、そのうち自分で1からルールを作成し、要素にフックを作ったり細かくバランスを取る作業を楽しいと感じる様になります。
書いてて思い出しましたが、絵を描くのが好きだった事もあり、自分でイラストとデータを付けた駒で遊ぶボードゲームとかも作ってました。

と、中学時代はこんな感じにインドア寄りになってましたが、1991年にストIIが稼働し、自分を取り巻くゲーム環境が一変していきます。

■:高校編~スキルスミス発足まで~

ストIIの稼働は高校進学と同じ時期で、絵が趣味だったので芸術科デザインコースへ進学。
特に部活なんかは考えてなかったんですが、クラスメートから誘われてアニメ部へ入部。
コレが大きな転機となります。

アニメ部にはストII姉ちゃんと呼ばれるゴリゴリのアーケードゲーマーの先輩がおり、学校が終わると部員を引き連れゲーセンへ繰り出すのが日課だったのです。
後にスキルスミスで中核を担うメンバーとなる宮下小雪ともこの部活で出会い、楽しさの共有ができる相手を得て一気にアーケード野郎へと舞い戻ります。

この学校、当時の環境が最高にダメ(褒めてる)でして。
学校のほぼ隣にローソンがあり、その隣がゲーセン。
「学園店」という名のゲーセンは今考えても凄いと思う。
(この辺が学園町って地名なのでそうなるのは仕方ないんですけど)
数百メートル先に新しいゲーセンもでき、通学経路に6ヶ所ぐらいゲーセンがあるという状況でした。

そんな環境で普通の学生生活なぞするはずもなく、知る人ぞ知る北陸のバーチャ集団「結城一族」の会長や、後のスキルスミスメンバー、赤髭ことTTK氏との出会いを経て、更に格ゲーにどっぷり浸かっていきます。

このTTK氏、自分が通ってた高校に併設されてる工業大学生(というか高校が付属)で、実家が大阪なので、休みになると帰阪して流行のプレイをラーニングして福井に持ち込み、皆で更に研鑚する事で地方のゲーセンにしてはやたらレベルが上がってる状態でした。

TTK氏の寮は学校のほぼ隣、という更なる環境バフになっとりまして、学校(方面)に向かう→TTK氏の寮で遊ぶ→5時間目ぐらいに学校に行く→部活と称して(しかも当時部長)ゲーセンという凶悪なルーティーンをしてました。
よく卒業できたもんですね。

そんなTTK氏の部屋にある日ネオジオが導入され、大道芸が大好きな我々はガロスペでとにかく何でも空中投げするのをビデオに録画した事がありました。
当時は編集とかできる環境が無かったので、状況を整えて録画を押し、即プレイして繋げていくという乱暴な収録スタイルでしたが、できあがったビデオは我々にとっての宝物になり、この体験が後に大きな影響を与える事になります。

さて、そんな放蕩の限りを尽くしながらも高校を卒業し、当初は併設校のデザイン専門学校へ行こうと思っていた所、先に入学していたアニメ部の先輩より「役に立たんよ」と言われ、あっさり進学をやめます。

この頃は漠然と絵やデザインでの就職を考えており、一足先に大阪のデザイン会社に就職していたTTK氏、イラスト描きの小雪嬢、文芸のGONを巻き込み、創作サークル”スキルスミス”を立ち上げます。

が、活動内容も特に決めておらず、進学も就職もせず無為に過ぎていく状況に苛立っていた私は「専門学校行くのやめた代わりに社会勉強してくるから10万くれ。」と親に進言。
その10万を手に、進学で上京していたGONの家へ転がり込むのでありました。

■:東京編~スキルスミスの活動開始~

最初の拠点は高田馬場。
いつの間にかウメハラ・オオヌキを始めとした強豪犇く魔界になってた「Bet’50」と、ゲーム必勝ガイド愛読者の聖地「ゲームインゆうゆう」をホームとして様々なプレイヤーとの交流を深めていきました。
色々奇跡的なタイミングと場所だったと思います。

当時は勿論ガチガチの対戦人でしたが、家庭用移植がアーケードに迫ってきて時間を気にせず過去のRPGの様な遊び込みができるようになってきた事もあり、システムやコンボ研究の方に傾倒し始めます。

この時研究していたのはサターン版のストZERO。
当時画期的だったトレーニングモードが実装され、寝食も忘れてやり込んでいたわけですが、折角なのでビデオ編集して公開できないだろうかと考え出します。
とはいえ纏めるにしてもノウハウも機材もない。
凝り性の自分は以前やった様な乱暴スタイルではやりたくないしなぁと手を拱いておったわけですが、このタイミングでビデオ映像の編集を趣味でやってるキラマル君と出会います。
編集点の設定ができない機材を使った目押しリニア編集で音楽とシンクロさせた映像を初めて観た時はホント度肝を抜かれました。
そんな彼の協力の元にオープニング映像を付けるという新しいタイプの動画構成を確立し、

ビデオ収録とパッケージイラスト原画担当:bug
パッケージやラベルの装丁、デザイン担当:TTK
添付物作成、販促担当:宮下小雪
オープニング作成、ビデオ編集担当:キラマル

という創作サークルとしてそれぞれの持ち味を活かしたコンボビデオという成果物が生まれ、スキルスミスとしての活動を開始したわけです。

この頃から「やってきた事」と「人脈」についての運とタイミングが毎度奇跡的に噛み合ってる事に気付き、何か新しい事をする時や啓示的な事象があった時に自分を俯瞰して見て答えを出す様になります。
あぁ、そういう事ね、それならそうしよう的な。

そんな中スキルスミスの活動はどんどん活発になっていき…
vol.2へ続く。

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