Debut:小さな野望、未来への一歩

皆さま、ご無沙汰しています。木之本まい’んです。

本業都合で多忙を極めていたところ、気が付いたら前回の投稿から
3カ月近く経ってしまっていました。
お待たせしてしまって本当に申し訳なく……

今回の投稿が最終章となります。
思い出を綴っていたらまたまためちゃ長くなってしまったのですが
良かったら最後までお付き合い下さい。

 

■駄菓子屋ゲーセン、そのルーツ

1985年当時、高知市内にある高知県立県民体育館。
この施設の真裏にある小道に「寺尾(てらお)」という駄菓子屋がありました。

この店の軒先には10円玉を弾いてゴールまで運ぶ新幹線ゲームの亜流タイプである
「HOP STEP JUMP」と、10円メダルゲームの定番「ピカデリーサーカス」
あとはオレンジ色のアップライト筐体2台が設置されていました。

当時住んでた家から近かったこともあり、ここにはよく遊びに行ってましたね。

「HOP STEP JUMP」はゴールまで10円を運ぶと筐体の下にある取出口から
長い棒状の色付きプラスチックトークンが出て来る仕組み。

このトークンは5~6種類ぐらいあって、これを店の人に見せると
そのトークンの種類によって店内で売っている色んな商品と交換できるシステムだった。

有名な話だけど「HOP STEP JUMP」にはかなり高い確率でゴールできる攻略法が
あったので、少ない元手でこのトークンを稼いでましたっけ。
トークンはある意味ランダム排出されてたけど、今でいう「ブタメン」的な
小さいカップラと交換できるトークンが個人的大当たりでした。
小腹が空いたらとりあえず「HOP STEP JUMP」して食べ物クーポンをゲットする、が
立ち寄った時のパターンでしたね。

店先のアップライト筐体は色々入れ替えられてたけど、その中で一番
心に残っているのはなぜか「ミスターバイキング」

雨の日に傘を差しながらプレイしてた時、もう少しで初2周クリアというチャンスを
失敗してゲームオーバー……悔しい思いで雨に濡れながら帰った記憶が強く残っています。

この年代には他のゲームならそれなりに上手く遊べるぐらいになっていたけれど
このゲームはなぜか上手くなれなかったことが心残りで…
今ならきっと簡単に思えるんだろうな。

ちなみに高知で降る雨は東京でいう台風時の風雨が当たり前レベル。
傘を差していても、外にいたらもうびしょ濡れ当然レベルですw
今思い返すとそんな過酷な環境の中でよく筐体動かしてたな、と思いますね。

この寺尾から50mぐらい同じ道を北に歩くと「久保(くぼ)」という駄菓子屋?がありました。
ここでは色々なスーパーボールが売られていてような記憶が……違うかな?
で、ここの店内にも2台ほど駄菓子屋アップライト筐体があって
確かここでは「スペースファイアバード」か「フェニックス」を遊んでたような?
ちょっと記憶が朧げなので自信ないかも……

あと忘れてはいけないのが前回にも書いた「明神(みょうじん)商店」
ここでやりこんだゲームは思い入れが深く、私のアーケードゲーマーとしての
下地を作ったお店になります。

「ロードランナー1~2」をやってた中坊時代は手書きで方眼紙に書いたマップを
受業中に広げて解法を考えて、下校してすぐ試す毎日でした。
クリアしたあとはカンスト目指して周回プレイしてたり。
あ、前回書いた「B-WINGS」の1億点もこの店で達成したものです。

この店で遊んでた他の思い入れのあるゲームといえば…

1942(ALL)
魔界村(8周ぐらい)
バラデューク(ALL)
ツインビー(400万ぐらい)
NOVA2001(1000万)
テラクレスタ(1000万ならず)
ドラゴンバスター(1000万ならず)
T・A・N・K(ALL 1000万)
強行突破(ALL)
ピットフォールII(3種隠しALL)
スーパーパンチアウト(1000万)
アイスクライマー(対戦ツールw)
スーパードンキホーテ(ALL)
ドラゴンズレア(ALL)
ブギーマナー(?周)
キャンパスクロッキー(下手の横好き)
アルマジロ とか。
だいたいはオールクリアや周回プレイが当然ぐらいには遊んでいました。

なかでも「テラクレスタ」「ドラゴンバスター」はプレイが終わる様子なく
950万点以上まで余裕で遊んでいたのにも関わらず……

店のおばちゃん「もう閉店だよー」
まい’ん「あ、ちょっと待っ――」
ブレーカーバツンッ!
まい’ん「ああぁぁあぁぁーーー!!!

という容赦ないブレーカーダウンにより、1000万点達成をそれぞれ阻止されたんですw

もちろん店のおばちゃんにはそんなプレイ事情や、1000万点を初達成することの
価値などわかるわけもなく……

おかげでこの2タイトルは実はいまだに1000万点達成してないのですw

予断ですが「テラクレスタ」は上京してから、旧トライタワーの7階で
再度1000万点チャレンジしたことがありまして。

この頃はもうスコアラーとして活動していて、当時よりプレイヤースペックが上がっていた
こともあり、ほとんどミスらなく周回してました。
ところが900万点台でポカミスをした瞬間、画面がバツッと真っ暗になった直後、
映し出されたのは「テラクレスタ」のタイトル画面……

そう、リセットがかかってしまったんです……

確かこの時は画面下段に3列並ぶまで残機を溜めてたんですが、さらにその表示が
バグって訳わからないキャラデータが表示されていたので、ヤバそうだなーとは思って
いたんですよね……

故・めぞん一刻氏の「グラディウス」1億点達成時の有名エピソードの一つである
100数十機溜めていた残機がミスした直後に残り5機にまで減ってしまっていた
エピソードを氏から直接聞いていたこともあり、やっぱり残機を溜めすぎたことが
原因なんじゃないか、と思わずにはいられないわけで。

この日、朝イチからトライタワーの階段を駆け上がって、真っ先に筐体に座って
超ヤル気で始めたあの日の8時間以上が完全なムダに終わってしまった
あの喪失感といったら……

この件が地味にトラウマになって、今も「テラクレスタ」の1000万点は
達成できてないのですw

あと明神時代にやってた「バラデューク」
全面クリアできた後で、あるかどうかわからないパケットルーレットの法則を
見つけるために、真夏の暑い日に店頭で売っている生菓子(50円~)をかじり
7upで流し込みつつノート片手に各ステージ間のラップスコアやルーレットの結果を
一人メモりながら黙々と遊んでたっけ……。

結局、完全な法則は見つからなかったけど、なんとなく当選確率を高めるやり方を
見つけることはできました。といっても運絡みなのは間違いないですけど。
この時に調べたデータは手書きメモだったので完全に消失……
時間があれば再調査して、どこかでデジタル版を作っておきたいけれどいつになるやら。

そうそうこの明神商店で売っていた生菓子類のお菓子は賞味期限切れ品を安価販売していた
せいか、ものによっては少し酸っぱかったんですよね。
当時利用していた生徒たちの間では常識でした。
今なら問題になりそうだけど、当時は安く買える大事なエネルギー源だったから
おばちゃんに文句も言わず食べてたですよw

いまや明神商店も無くなってしまい、この付近は広めの車道に様変わりしてしまいました。
30年近く故郷を離れた空白の時間を痛切に感じます……。

あの時の楽しい思い出だけは、いつまでも心に残りけり……。

 

■ホームゲーセンという意識の芽生え

ウチは決して裕福な家庭ではなかったので当時の友人たちと比べても1/2~1/3ぐらいの
小遣いしかもらえなかった。
だから駄菓子屋で遊ぶことが当時のゲームシーンの8割は占めてたように思う。

この時代、多数のビデオゲームを遊ばせる施設は基本的にタイトー系のメーカー直営店か
大丸&西武デパートの屋上、ボーリング場内のゲームコーナー、そして高知市内ど真ん中の
はりまや橋にあった「ゲームプラザ・ウィン」という店が、自分の中では
「ゲームセンター」という認識でした。

そんな折、前述の寺尾から道を挟んだ真ん前に「インベーダーハウス」(通称:インベ)
というビデオゲームオンリーの店が突然オープンしたのです。

この店舗は以前は確か美容室か喫茶店だったんじゃないかな。
ちょうど3差路の角で三角形に近い敷地。

地図で見るとこんな位置関係。

店内にはテーブル台が7台ぐらい置かれてました。
「グラディウス」「リブルラブル」「功夫大君」が特に記憶に残っている。
「チャイニーズヒーロー」「スティンガー」もあったかな?

特に「功夫大君」が大好きで、実は「グラディウス」よりハマってたw
あのコンパネから生えていたマイクに息を吹きかけると、画面上に筋斗雲エレベータが
出てくるギミックとか楽しかったなあ。

そして今でも付き合いがある他中学校の同期な友人たちと出会ったのも
このインベが最初だったような。
そういや彼らが自転車で30~40分ぐらいかかる地元から、どうやってこの店に
辿り着いたのか聞いたことなかったっけ。縁とは面白いもので。

それはさておき、このインベは他の駄菓子屋やゲーセン店舗と違って、オーナー店長や
店員が仕切りなし状態の狭い店内で、タバコを吸い雑誌を読みながらも
ちゃんと店内の様子に目を光らせていたのが印象的でした。

それもそのはず、この時代ゲーセンで遊ぶ悪ガキは言うこと聞かないヤンチャな奴が多く
さらにモラル欠如してるので、平気で台やコンパネを痛めたり、金が無くなると
大人しい子供を囲んでカツアゲしたりするわけで。

でもここの店員、T木さんは、パーマヘアで180cm近くのガタイのいい年上の兄ちゃん。

店内でやんちゃする客を問答無用で店外に連れ出す光景を何度か見たこともあり
(肉体言語でのお話があったかまでは未確認だけど)

オーナー店長も眼光鋭くなんか怪しいオーラ出してたように見えたし。
T木さんと二人いるだけでこの二人はきっとヤ系の人なんじゃないか?
と初期の頃はビビってましたよw

カツアゲが日常茶飯事なこの昭和の時代、線が細く気の弱い自分も
何度かヤンキーたちに囲まれカモられたこともありました。

でもこの店に、ヤンキーたちが近寄らなくなったのでそういう被害は完全にゼロ。
安心してゲームができる場というものを実感できた初めての店でしたね。

そうしてこのインベに通ううちにオーナーとT木さんとも身近に話せるようになり
アーケードゲームを通じて大人とのコミュニケーションの体験できた社交場ともいえる
空間でした。

あ、あと中学校の補導員が見回りにきた時には、中学生仲間全員でバックヤードに
匿ってもらったりもしましたっけw
そういう意味でも安心してゲームできる場として、自然に常連として毎日顔を出すように
なっていきましたね。

でもこのインベーダーハウス、1年経ってないぐらいで店舗を閉めてしまうことになったと
思ったら、高知市内ど真ん中の松竹映画館が入っているビルの1階、ミスドの横の物件に
移転したのです。

移転後は店名を「カーニバル」と改めて新しいスタートを切りました。
稼働していたゲームのことを考えると確か1985年ぐらいだったっけ。

もちろんオーナーとT木さんは変わらず在籍していたので、私をはじめ
インベ常連だった知人たちもカーニバルに活動の場を移していくのでした。

新店舗は10mぐらいの縦に細長い敷地にテーブル台が12台ほど置かれ、インベ時代の
雰囲気そのままなビデオゲームオンリースタイルでした。

ただインベ時代は店内照明が暗めだったから昭和のゲームコーナー的なアングラ感が
あったけど、ここの照明は蛍光灯明るいw
それだけでこの新天地で遊べることにワクワクしたものでした。

横のミスドで買ってきたドーナツを広げ食べながら大好きなゲームをわいわい言いながら
遊ぶ……おおらかな時代でしたねえ。

このカーニバルで遊んでた当時のゲームを羅列してみると……

ギャプラス(600万程度)
モトス(2ミスALL)
メトロクロス(ALL 98万ぐらい)
スカイキッド(ALL)
ドルアーガの塔(ALL)
ソンソン(500万ぐらい)
エグゼドエグゼス(1000万)
魔界村(8周ぐらい)
ガンスモーク(ALL)
ひげ丸(100万まで永パ)
セクションZ(10周ぐらい)
戦場の狼(1000万永パ)
ハイパーオリンピック’84(4周ぐらい)
ファイナライザー(600万ぐらい)
ショーリンズロード(1000万)
ツインビー(400万ぐらい)
グラディウス(700万ぐらい)
バッドランズ(カンスト)
pinbo(50万程度)
FUTURE SPY(5thDAY程度)
青春スキャンダル(2周目程度)
パンチアウト(2周目程度)
スーパーパンチアウト(1000万)

こう見るとタイトー系以外は当時のメジャータイトルをそつなく稼働させていた記憶。
なにせ高知市内にはタイトー直営・系列店が多かったから。
カーニバルの付近にも2店はあったし。

当然そちらではタイトー系ゲームのクリアや1000万点達成とか適度にこなしながらも
あくまでホームはカーニバルでした。

まだこの当時はベーマガでしかハイスコア集計をしていなかったのだけど
この店舗に移ってから店内ハイスコアボードを作ってもらいました。

といっても紙短冊に手書きでゲーム名とハイスコア、名前を書いて壁の上方にテープで
貼り付けただけのものでしたが、このハイスコアが店内に飾られ他の客たちに
見られることで、ゲームに対しての攻略やハイスコアへの意識が確実に大きくなって
いきました。

この店内ハイスコアを掲げるようになってから、今まで知らなかった
地元のプレイヤーたちが続々と現れ、スコアボードを賑わせてくれました。

ハイパーオリンピック系をはじめ色んなゲームが上手かった「ホ●ト」※自主規制
メトロクロスを一緒にやってて先に100万オーバーを叩き出し、結局最後まで
勝てなかった「ゴン」
彼らとは妙にウマが合って一緒にゲーム攻略を進めたことも多かった。
離れ離れになってもう30年ほど経つけど、彼らは元気でやってるだろうか……

そういやいつしかこの店ではハイスコアを出すと、2ゲームサービスのチケットを
もらえるサービスを始めました。

こうなると子供の当然の思考として、スコアを寸止め更新してチケットをもらう手段を
とりますよねw
何枚ももらってその都度サービスコインを入れてもらってましたが、予想どおり
このサービスは早々に自然消滅してしまいました……。

確か部屋のどこかにこのチケットが眠っていたはずなのですが、この原稿書いてる間に
結局見つからなかったので紹介できず、残念。

 

■ゲーメスト創刊……いま時代が動き出す

カーニバルで日々楽しく遊んでいてしばらく経った頃、86年4月にあのアーケードゲーム
情報誌「ゲーメスト」が創刊されました。

初期の頃はファミコンソフトの情報等も掲載されていましたが、次第にアーケードのみの
専門誌にシフトしていきます。

この雑誌は前回文中に登場した日本最大のゲームサークル「VG2」の主要メンバーが
編集・執筆スタッフとして参加し製作されたものになります。

「VG2」が刊行していたゲーム情報同人誌にはいつもお世話になっていたのですが
(前回ドルアーガの項参照)正式な出版物として登場したこのゲーメストには正直驚きを
隠せませんでした。

ゲーム費捻出のため、雑誌は普段立ち読みで済ませていた自分でしたが、ゲーメストは
購入して穴があくほど読んでました。

四国山脈の高さのせいで行き来がし辛かった当時、本州~香川・愛媛・徳島からの
最新ゲーム情報が届かず、少なからずともコンプレックスを感じていたので
ゲーメストに掲載されているゲーム情報はもちろん、各種広告、基板屋情報、読者ページに
至るまで隅から隅まで目を通していたんです。

この頃は、高校の漫研クラブに所属していて、微妙に下手なキャラ絵wを描いてたので
スコアラーの名前を覚えると同じレベルでやたらと上手いイラスト投稿常連者を
「こいつうめぇー!」と羨ましくチェックしてましたっけw

おっとまた話が逸れてきた……

ゲーメストは初期のvol1~5までは隔月刊で発行され1987年から月刊化を果たし
全盛期には月2刊行まで発行ペースを上げるほど大人気のゲーム雑誌に成長しました。

あとになって知ったのですが、ゲーメストと初めて出会ったのは実は第2号だったのです。

そしてこの第2号の誌面中に「次号から全国ハイスコア集計するよ。特定の店だけじゃなく
個人申請も受け付けるよ
(要約)
なる文面が書いているのを見つけた私は
ここで兼ねてより抱えていた「ハイスコアで全国誌に名前を乗せたい!」野望を
再び燃え上がらせてしまいます。

実はこのカーニバルから300mぐらい離れたところに前述した「ゲームプラザ・ウィン」
いうゲームセンターがあり、この店が高知唯一のベーマガのハイスコア掲載店に
なってました。

ですが、ベーマガ集計はやはり都会や他県のキャロット常連プレイヤーが強い印象のうえに
ウィンは新作が最新入荷されているというわけでもなかったのでハイスコア競争に
参加するには微妙な店でした。

それもこれも高知にはキャロットが一店舗も無かったからね、仕方ないね……。

そうは言いつつも一番問題だったのは1プレイ100円だったことですけど。

いい大人になった今なら100円程度、メダル感覚で普通に筐体に放り込めますが
バイトもしていない未成人には、やはり100円のハードルが高かったものです……

なので、このゲーメストの個人申請制度は自分みたいな10~50円ゲーセンで遊ぶ
プレイヤーにはこれ以上ない光明だと感じたものです。

ちなみにこの個人申請制度には「ウソスコア」の温床ともなる闇も多分に孕んでいることは
容易に想像がつきましたが、己が信念を貫くためにプライドをもって真摯に取り組んで
正々堂々と全一になろうと覚悟を決めます。

ハイスコア集計という遊びは、極論を言うと「独り上手」な遊び方をぶつけ合う
変則的な競技スタイルであるがゆえに、他者との信頼の上でこそ成り立つ競技なのですから。
ウソだけはいけません。

後年、上京してから「個人申請によるウソスコア申請が毎月相当数あり、ふるいに落とす
だけでも、毎月相当の労力をかけていた」
と聞いて、やっぱそうだよなーと思ったものです。

当時は今みたいにネットで簡単に連絡も付けられず、スマホはもちろん
ハンディビデオカメラもまだ気軽に購入できるものではないし、ビデオデッキへの
外部ビデオ出力なんて考えられない時代でしたから、証拠となる映像を録画して
提示することもできない……
一通の個人申請ハガキと電話連絡だけじゃ、そもそも審議確認にも無理があるわけで。

ちょっと話が逸れました。
この件を語り始めると色々と波及して止まらないのでやめておきましょう。

さて、ハイスコアを出して自分の名前を全国誌に載せてやろうと
純粋<ピュア>な野望を抱き動き始めた私ですが、ここで疑問が一つわき上がりました。

「集計するといっても何のタイトルをやればいいのか?」

この疑問は当然のこと、田舎だと思っていた地元にも数多くのゲームと出会うことができ
十分すぎるぐらい遊んできました。
だけど、どれが・いつ出た新作なのか? という情報は情弱な田舎者の自分には
てんでわからない状況だったのです。

タイトル画面の年代表記を見て「ああ、これXX年のゲームなのか」とわかるのが関の山。

そんな状況だし、この頃のメストには次の販売タイトル予定とか告知するページも
無かったので、決めた事は――

「次にカーニバルに入った新作をやろう」

ちょっと前から稼働しているゲームをいまから下手に始めるよりは
新作を待つ方が建設的だなと。

その時を今かいまかと待っていると、3週間後ぐらいに待ちに待った新作が入荷しました。

そのタイトルこそ「闘いの挽歌」(カプコン) です!

いま調べてみたら、発売が1986年4月とか書いてる……つまりゲーメスト第1号が出た時に
発売されてるわけで、当時は実質3カ月遅れの入荷だったということ……。

そんなことを当時は知る由もなく、いよいよこの「闘いの挽歌」に立ち向かう日々が
始まったのです。

 

■「闘いの挽歌」激ムズゲームへの挑戦

闘いの挽歌というゲームを詳しく知らない人が多いと思うので、興味があれば
以下リンクの動画をどうぞ。
今が2020年ですから、10年ほど前に高田馬場ミカドで私が実演プレイをした時の動画です。

主人公「リュウ」を操作して、核戦争後の世界を支配する剣王を倒し、世界を救出する事が
目的……だったらしい(wiki抜粋)

基本的なシステムを紹介すると――
リュウのHPは8ゲージ。初期設定で3人スタート。
剣と盾を持っていて、攻撃ボタンで剣を振り、防御ボタンで盾を構えます。
同時にボタンを押しても2つの動作を同時に行うことはできません。

ジャンプはレバー上方向で垂直・斜めジャンプができます。この辺は今の格ゲーと
同じですね。

あと敵が投げる特殊な弾を盾で防御すると剣と盾が吹き飛ばされて、素手での格闘戦に
なってしまいます。
敵は基本的に得物持ちなのでこちらのリーチ外から容赦ない攻撃を仕掛けてくるので
素手だと基本的にゲームになりません。
※状況によっては素手にした方が倒しやすい敵がいるのであえて外すという攻略があります。

あとこのゲームならではの個性的な操作方法。
防御ボタンを押しっぱなしにしている間は足を止めずっと盾を構えるのですが
この時にレバーを8方向に入れることによってその方向に盾を構えることができ
上段、下段の攻撃をガードすることができます。

この操作に慣れることがこのゲームの一番重要なキモで、これさえできれば
ダメージを抑え、先に進むことができます。

当時から私が言っている格言として――

「盾を制するものは、闘いの挽歌を制す!」てのがあります。

または「盾に始まり盾に終わる」とかもw

それほどまでに攻撃より防御が重要なファクターのゲーム、それが「闘いの挽歌」です。

で、このゲームに真剣に取り組むことになったわけですが、どういった攻略の流れをして
進めていったの詳細までは、さすがに記憶に自信が無いので割愛するとして……

激ムズだと言われているこのゲーム、2周クリアでエンドなのですが、実はほぼ1週間で
クリアしました。

もちろんゼロから始めて自分独りだけの攻略で、です。
そもそも他の客にはこのゲームは難しすぎたようで、誰もやらずほとんど貸し切り状態
だったからという訳。

基本的に所持金が少ないので、少しでも長く遊びたいからコンティニューはせず
常に最初からリトライというプレイ方針でした。

今だったら攻略効率重視なら引け目なくコンティニューもするんですけど
昔はそういうプレイポリシーでしたね。

ちなみに「究極タイガー」もほぼ一人で、1日1~2回ペースで25回目には
1000万点出せていたぐらいなので、10代中盤当時の攻略ペースは
自分でもかなり油がノっていたなと思います。

おっと、話を戻しましょう。

2周目のラスボスである剣王までは3~4日ほどで到達したのですが
この2周目剣王は1周目とはまったく違うありえないほどの強さをもっていました。
一言でいうと「瞬殺」あっという間に残機を溶かされゲームオーバーです。

それもそのはず1周目と同じ闘い方でこの2周目剣王の間合いの中に入ると
0.5秒もかからない僅かな時間で3回斬られてリュウの断末魔の声が店内に
響きわたるのですから……

剣王に3回斬られたら1ミスになるので、まさに刹那の連斬……
近寄っただけで殺られるというプレッシャーはまさに絶望ものでした。

この2周目剣王を全国のゲーマーたちも倒すことができず、心を折られた人が
相当多かったからこそ、このゲームが激ムズゲーだと言われるようになったのでしょう。

後年、私の聞いた範囲では、難しいゲームではあるけれど2周目剣王までたどり着いた人は
意外に多かったようです。
でもそこで息絶えたプレイヤーが相当いたのでしょうね……その気持ち、すごくわかります。

実際、私もこの2周目剣王にたどり着いてから3日間、100人近く殺られ続けて進捗ゼロ……

『自分にはこのゲームを制するセンスが無いんじゃないのか?』

個人申請の〆切日が刻一刻と近づいてきていて、内心焦りの色が濃くなっていました。

どうすればこの剣王に勝てるか……ってことを漠然と考えていたのですが
ふと足を止め、基本に立ち返って考えてみました。

『どうやれば確定で1ダメ通せるのか?』
『1ダメ通すことさえできれば、あとはそれを8回繰り返すだけだよな!』

そんなことを学校の受業中に考えていたとき、ふと一つのアイデアが降りてきました。

『いい間合いから空中で盾を構えた状態で跳び込んだら
 うまく剣王の懐に接近できるんじゃないか?』

これは、空中でガードしてるし即死はないだろうという想定と、着地できたら確実に
こちらの剣の間合いに入るというメリットがある閃きでした。

これを思いついてからは、早く帰って試したくて受業中ずっとそわそわしていましたね。

そして放課後になったら学校から40分猛スピードでチャリを飛ばしてカーニバルに着くなり
急いで手持ちの100円を全部50円に崩し、筐体に座りゲームを始めました。

ほどなくいつものように2周目剣王と対峙します。

脳内で温めた攻略シーケンスをいま実行するとき!

剣王の攻撃を盾でガードするとヒットバックでお互いの距離が空きます。
そして歩いて距離を詰めてくる剣王との間合いを図りつつ、剣王の方にジャンプ!
すぐに盾ボタンを押しっぱにします。

すると、どうでしょう。

脳内で思い描いたイメージそのままに、斜めジャンプの自然落下中に
刹那の連斬が
見事に当たらず、そのまま剣王の目の前にノーダメで着地することが
できたのでした。

「これだーーッ!!」

もう心の中はすっかり舞い上がってテンションマックス。

あとはこの着地時にタイミングよくしゃがんで剣を振って1ダメ当てて
すぐにしゃがみガードする、の繰り返しを実行するだけ。

剣王はリュウに3回ヒットさせれば勝ちだけど
リュウは8回ヒットさせないと剣王を倒せない……

つまり1回斬られる前に4ダメ与えれば、2回斬られても僅差で勝てるわけ。

跳び込む精度を上げるため、間合いとタイミング、跳び込み成功のリーチ目の詮索など
探りつつ何度も何度もチャレンジを繰り返しました。

跳び込む間合いと着地後剣を振るリズムがつかめてきた頃には、剣王へ与えるダメージは少しずつ増えていき7ダメージのリーチ状態まで持っていく回数が増えてきました。

ですが、そうはいってもいつ瞬殺されてもおかしくないこの攻略パターン。
ビビりながら実行しているから着地しても剣を出せないやら、出せても一瞬遅かっただけで
先に斬られるやらで、みるみる残機が減っていきます……。

そして何度目かの最初からのリトライ挑戦だったか、リュウがノーダメで
剣王体力ゲージラス1まで追い詰めた、これ以上ないリーチ状態を迎えました。

この時の緊張感は本当ハンパなかったですね。

そして最後のジャンプは綺麗なアーチを描いて剣王の懐に入った瞬間
2回斬られてもいい覚悟で剣ボタンを連打……

低いうめき声をあげて私の前に膝をついて倒れる剣王の姿を見た瞬間――

「うおおおぉぉーーーっ!!」

まさにコロンビアな感じのダブルガッツポーズで席から立ちあがった私は
キャラに似合わない雄たけびをあげました。

こうして2周目剣王を倒し、初の1クレジット2周クリアを果たすことができたのでした。

どんなゲームでも言えることですが、自分の力で攻略し続け見事にクリアを果たした時の
達成感・爽快感は、何物にも代え難い自分だけの体験なのです。

ぶっちゃけ、この達成感を感じたいためにゲームをやってるといっても過言ではないわけで。

そういう意味では私の本質はスコアラーではなくクリアラーなんだなと。
ハイスコアプレイを本格的にやり始めてから自分の中で改めてそれに気付かされました。

同じゲームを何年もコツコツやって極めるタイプじゃないから、一つのゲームに執着せず
色んなゲームを同時進行で遊んでどんどんクリアすることが好きなんだなと。

昔は各社メーカーから毎月何タイトルも違うゲームが発売されてたから
それを満遍なく遊んでガンガン上達していくのが何より楽しかったのです。

この遊び方のアプローチが自身の攻略スキルの大きな礎の一つになりました。

ですが今この時代はアーケードの新作がほとんど出なくなり、さらに社会人として
ゲーセンに一日中居れるような生活を失って久しいので、こういう感情を求めて
ゲームをすることはほぼ無くなってしまいました……時の流れは無常ですね。

 

■「闘いの挽歌」さらなる高みへの挑戦

2周目をクリアして、この結果を個人申請して送ればミッションコンプリート。
ハイスコア挑戦話も終わりかと思った方もおられるかと思いますが
これはあくまで「ハイスコア」を争う誌上競技なのです。

日本全国各地で虎視眈々とその座を狙う正体すらわからないライバルたちとの
目に見えぬ闘いを今まさに行っているわけですから、この2周クリアしただけの
スコアで全国一位になれるとは到底思えません。

ベーマガのチャレンジハイスコアページを最初に見た時の、自分の想像を遥かに超える
猛者が国内に大勢いるとわかっているからこそ、2周クリアはできて当たり前の予選で
ここからが本当のハイスコアプレイへの挑戦なんだと新たに気を引き締めました。

次の段階はというとスコアの底上げになるのですが、2周目剣王を倒すために残機を
多く持っていきたかったこともあり、実はスコア稼ぎネタを見つけていて、それは
すでに実戦投入がされていたのです。

その稼ぎネタとは「爆弾ヘリザコ(1000点)で稼ぐ」です。

この爆弾ヘリザコは画面上に最大2匹登場し、倒すたびに永遠に補充される仕様で
ステージ内時間が残っている限り稼げるということですね。

1匹だけ倒して稼ぐのは楽ですが、それでは点効率が良くないわけで。
2匹ムダなく稼ぐために、独自のコツをこの時点で見出し実践していました。

2周目剣王を倒すまでのプランは、この箇所で時間ギリギリまで稼いでから
先に進んで残機をムダにしないスタイルでしたが、スコア稼ぎとなると話は別です。

ここで導き出したハイスコアプランはこんな感じ。

(1)1周目2面で時間ギリギリまでヘリザコで稼ぎ、そのままノーミスで1周抜ける
   (他の面も細かに稼ぎつつ)
(2)2周目2面到達時までに増えた残機を、残ゼロまでヘリザコで稼いで先に進む
   (同上)
(3)2周目6面で取れる1up含めて、この残2人分で2周目剣王を倒す
   (理想は余った1機をラス面で潰して稼ぐ、ですがさすがにこの時点では妥協……)

という流れでのハイスコアチャレンジをはじめました。

ハイスコアプレイというものを意識して遊んだ人ならわかると思うけど、想定している
プレイ内容を理想通り実現しミスなく繋げていくことが、実際どれだけ難しいことか……

肝心のザコヘリ稼ぎの2匹殺しパターンもで常に安定できるわけでもなく、僅かな
タイミングのズレで結果2万点近く落としてしまったり、稼ぎに集中してプレイ時間が
長くなると、他のなんでもない局面でヘタにミスって残機を失ってしまったり
さらに最後の難関である剣王に惨殺される等、より精緻なスコアプレイが要求されます。

そうして意識しながらザコヘリの稼ぎを完璧にこなすことができるようになると
1回の残機潰しで2人増えるほどに点効率が上がりました。

ですがこのゲームは当時のカプコンゲーならよく見かけた
「100万点を超えるとスコアエクステンドが止まる」
という仕様になっているため、永遠に稼ぎ続けることはできません。
つまりこの方法での永パ(永久パターン)は成立しないことがわかっています。

おまけに100万点達成してもスコア表示がカンスト(※1) や、振り切り(※2) にならず
桁上がりでちゃんと表示されているのでカンスト終了というオチにはならないことが
確定しています。
※1 カウンターストップの略。スコアが桁上がりした瞬間の状態で表示停止してしまう現象。
※2 スコアが桁上がりして表示上0点から再カウントされる現象。

クリアまでは早かったですが、やはりスコアを繋げるのは容易いわけがなく……
個人申請〆切日までにほとんどの時間を費やすことになりました。

そしてようやく〆切日の前日に目標としていた160万点超えをしたスコアを
叩き出すことができたのです。

十分繋がった状態での2周目剣王戦、気を抜くと0.5秒で殺されるボスを相手にし
ハンパないプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、冷静に編み出した
独自の攻略パターンを繰り返し、最後のダメージを与えてうずくまる剣王を見た瞬間
その場でまたガッツポーズと咆哮をあげましたっけ。

リアルの今の私を知る人は想像できないかもしれないけど、これでも20代の頃までは
熱いハートを持ってたんですよw

〆切日まで残り1日余していたのですが、目標スコアを達成したことで緊張の糸が
プッツリ途切れたせいか何度再挑戦してもこの時のスコアを超えることができませんでした。

『もうこれでいいか……』

〆切日を迎えて個人申請ハガキに達成日・ゲームタイトル・申請スコア・スコアネーム・
備考欄を丁寧に記入してポストに投函し、ポストに向かって祈りましたw

思ったより早くクリアできたことと、わかりやすい稼ぎ方が早期に見つかったこと
最低でも160万点に届かせたスコアで申請して、これで負けたら仕方がないと
意識した上での目標を達成したこともあり、やりきった感はありましたね。

初めての全国ハイスコア集計への挑戦がこれで終わりました。

 

■運命の日、勝敗の行方……

初回スコア申請を終えたあとも「闘いの挽歌」は大好きなゲームとして
続けてさらに練度を高めるよう遊んでいました。

でも他のゲームも数タイトル同時に遊んでいたので、感覚を忘れない程度にというのが
正しいですね。

そんな時間が流れていき、いよいよ次号ゲーメストの発売日がやってきました。

すべてを出しきって頑張ったハイスコアです。
全国のまだ見ぬライバルたちに勝っているのか負けているのか……
もうその日の受業中も気になって気になって仕方ありません。

下校したらすぐに「カーニバル」にチャリを止め、近くの書店に走り
ゲーメストを購入します。

立ち読みでその場でハイスコアページを見ることはせず、カーニバルに戻ってから
おもむろにゲーメストを開きました。

高鳴る鼓動を感じながら、ハイスコアページに向かって誌面をめくっていきます。

いよいよそのハイスコアページに到達。目指すは「闘いの挽歌」の名前!

『……無い……。』

『まあ他にもいっぱいゲームあるしね、きっと次のページにあるよね。』

と思いつつ、次のページをめくります……。

『……な……無いぞ!?』

『おいおい、載って無いよ? 闘いの挽歌、カプコンだよ? 有名じゃないの!?』

『もしかして人気なくて集計されてないんじゃ……』

途端に心の中に暗雲が立ち込めてきました。

この2ページ目、よく見ると掲載されている店は神奈川県が最後……

『日本全国のゲーセンの掲載数を考えたら3~4ページ目まであるじゃん。
まだチャンスは残ってるはず……。』

そう自分に言い聞かせて、勇気を出して次のページをめくります……。

『アマテラス……闘いの挽歌……あった!』

『ハイスコアは――「2周目剣王打倒達成者」……あれ?』

『名前は――』

『おいっ!! 本名で載ってるじゃんか!?』

『どういうこと? 俺、スコアネーム欄に「MPS-まい’ん」(※3)
て書いて送ったよね?』

※3 1996年までのスコアネーム。当時「MPS」というゲームサークルを立ち上げてたため(この話は今回割愛)

『なんで本名なんだよー!?
 それに「2周目剣王打倒達成者」ってなんだよ!
 160万オーバーを出した成果を掲載してくれないのか!?』

『一番上に書いてくれているということは、この3人の中では
きっと一番スコアが高かったってことか?』(……と内心思いたいw)

『まさか有名スコアサークルの名を冠していない田舎者だから
本名掲載になったのか……?』

『でも他の本名勢と違って、ちゃんと高知県の記載はしてあるしな……』

『それはそうとして、どうしてスコアじゃなくて2周目クリア達成者という枠
での集計になったんだ!?』

『ゲーメスト編集部はこのアツくてシビアなスコアプレイの楽しさが
わかってないのか?』

などともう脳内ツッコミしまくりで、嬉しいやら、残念やら、もやもやするやら……
この時は色んな気持ちが混ざり合って重い気持ちでこのページを何度も何度も何度も
見返したのを覚えています……。

ともあれ、私のハイスコア全国一位デビューは
「闘いの挽歌」で見事一発成就することができました。
この時、私は16歳……

思い描いた形でのデビューとはならなかったわけだけど、この時のあくなき挑戦と
こういう形でも望んだ結果を出せたことが、今後進むべくハイスコア活動への
大きな自信になったことは間違いありません。

まだこの時は近い未来に上京することになるなんて思ってもいなかったのだけど
高知に居たとしてもハイスコアを目指して遊んでいたことだと思います。

 

■後日談 ……その掲載の理由

この時から4年後……
ゲーム開発業務のため生活拠点を東京に移し、新しくできた仲間たちとゲームを
楽しんでいた私に、知人から「闘いの挽歌」のとある情報が飛び込んできました。

「闘いの挽歌」には 永パ(永久パターン)がある、と。

そんなバカな……と耳を疑ったのですが、聞いた話どうやら2P同時で遊ぶことで
2周目剣王を倒しても、また剣王戦ができるらしくて、ループして遊べるというような
ことでした。

それでスコア勝負ではなく2周クリアの集計になったようです。

2P側で遊ぶにはテーブル筐体を二人で挟んで座り交代で遊ぶことになるのですが
この時1P側が先に2周クリアしたあとで2P側が2周目剣王を倒すと
なぜかクリアにならず、残機ある限り永遠と剣王と再戦できるバグだと聞いています。

このネタを教えてくれた知人が実際試したようなので、この時点で
なぜ「2周クリア集計」だったのかが腑に落ちました。

強制的にずっと剣王を倒すことはできても永遠にクリアできない状態であるなら
面数勝負ってのは、後年のスコア集計ルールに通ずるものがありますしね。

これはハイスコア業界用語でいうところの「実力永パ」というものになるのですが
この「実力永パ」というのも集計ルール上、色々と曰くつきではあるのですが……
まあその話はここではやめておきます。

あと現状の集計ルールでは、一人でのプレイが大原則となっているので、いまなら
このプレイ方法はルール外ということになります。

当時のテーブル台プレイだからこそ、偶然発見されたバグでしょうね。

あと別方面の情報から仙台のゲームサークル「SPREAM」の有名プレイヤーが
「闘いの挽歌」200万点を超えているスコアが出ていると知りました。

しかも前述した永パは使っていないとのこと!

だけど自分の稼ぎ方だとどう考えても170万点台が天井だと思っていたので
200万点は途方もなく謎だったのだけど、どうやら2面じゃなくて
4面のヘリザコ&モーニングスターザコで稼ぐらしいと聞きました。

確かにザコヘリの飛行高度が2面より低いので、ちゃんと倒していけば回転率は高いなと。

その情報を聞いたからには自分も出してやろうと意気込んで「闘いの挽歌」
「ヒノーズ下井草」(※4)に持ち込んで再開しました。
 ※4 杉並区下井草にあったゲーセン。15m圏内に3店舗まで増えていたほどに勢いがあった(すでに全閉店)
当時、その時代を牽引していたハイスコアラー達が多く集まり競い合っていた有名ハイスコア集計店。

話に聞いたように4面開幕で稼ぎを行うも、左右から走ってくるモーニングスターザコの
捌き方がいつまでたっても上手くできず、自己べを超えることすらできなくて凹んでいた
ところ、友人のスコアラー「YUJ」(※5) がやってきました。
 ※5 当時からあらゆるジャンルで全国一位を叩き出していた有名現役ハイスコアラー。
    追いつき追い越したいと思わせられた強豪プレイヤーの一人。まだ追い越せてない……

4面での稼ぎを教えたところ、彼は自分が苦手な局面すら難なくこなして……
翌日にはあっという間に自分を超えるスコアを叩き出してしまったのでした。

「さすが、YUJ!」と称賛すると同時に、時代を牽引していた一人である
強豪スコアラーのプレイヤースペックの高さを直接目の前で痛感したこともあって
「闘いの挽歌」でのハイスコアに纏わる色んなもやもやした気持ちは、あっという間に
吹き飛んでしまいましたとさ(チャンチャン♪)

 

■エンディング ―邂逅―

という流れで私の幼少期から全国ハイスコアへの挑戦に至るまでのエピソードを
長々と続けさせていただいたわけですが、いかがでしたでしょうか?

本当ならもっと早く終わっているはずだったのですが、本業優先第一な生活で
日々の執筆時間も満足に取れないまま、気が付いたらここまでにもう4カ月の時間を
費やしてしまったことは反省の極み、本当にすみませんでした。

こんな私の他愛もない昔話を楽しみにしてくれた方が、どれほど居られるかは
わかりませんが、最後までお付き合い頂き本当にありがとうございました。

私自身、過去話をこんな風に語ることなんて今まで無かったので、恥ずかしながらも
新鮮な気持ちで綴れることができました。

今回書けなかったこと、まだまだたくさんの思い出があるので、またどこかの場で
筆を取る事ができた時は、また覗きに来て頂けると嬉しいです。

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今回バトンを渡してくれた、bug@Mr.スキルスミス さん(@skillsmith_bug)
楽しかった時間を思い出せる機会を与えてくださり、ありがとうございました。

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そして管理人である、山田哲子 様(@TetsukoYamada)
いつもいつも〆切を伸ばしてしまって、ご迷惑をおかけしてしまい
本当に申し訳ありませんでした。
それとともにリレーブログという貴重な体験をさせていただき感謝しています。
本当にありがとうございました。

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では次にバトンを渡す方なのですが……

正直、非常に頭を悩ませました。
今回、ハイスコア話をネタにしたので、同じようにスコアラー関係者に繋げるだけだと
面白くないかなと考えてみたり。
親しい交友関係の中で、突然のバトンを快く受けてくれて、責任感強くちゃんとできる人
……となるとこの人しかいません。

TZW-ART?(@TZW_guile) くんです。

ハイスコアラーとしての活動と実績はもちろんですが、ファーストインプレッションは
「ストII連続技の凄い人」でした。

私と同業経験での話が合ったり、そして秋葉原の某有名ロケーションを回していた
経歴もあるオペレータ目線でもゲーム業界を話せる人です。

多岐にわたり活動している彼がどういう話をするのかは今の段階ではわかりませんが
私自身、読者の一人として今から楽しみです。

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高田馬場ミカドや配信、その他ロケーション等でお会いできたときは
改めてよろしくお願いします。
今まで読んでくれた皆様、本当にありがとうございました m(_ _)m

木之本 まい’ん(@Main_Kinomoto)