スキルスミス必勝ガイド vol.2

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■:スキルスミス活動期

そんなこんなでスキルスミス初の成果物、サターン版ZEROのコンボビデオ「XERO」が完成し、同人誌即売会にて初お披露目する事に。
とはいえ初出展で名もなかったので、最初は確か15本程用意しただけ。
内容に自信はあったものの、10本出てくれたら嬉しいなーぐらいの気持ちだったのを覚えてます。

が、そんな思惑はどこへやら。まさかの瞬殺。
「もう無いんですか」「再販はいつですか」「通販してないんですか」
と質問攻めの対応をしている小雪嬢を横目に、しばらくはこの路線なんだなぁと漠然と感じる私。

その後「3DO版ストIIX」「サターン版ZERO2」等のコンボビデオを作成し、スキルスミスは完全に「コンボビデオサークル」として認知されていきます。

そんな中、運命のタイトル「ストリートファイターIII」が稼働します。
鳴り物入りで稼働したストIIIですが、当時の反響は芳しくなく、稼働して日が浅いにもかかわらず、乱入されずにギルを狩りまくれてしまう日々。
そんな寂しい状況の中、私自身タイトルとして非常に思い入れがあり、コンボビデオ作品としての見栄えでZEROシリーズに劣らないインパクトを出せると確信していたので、当時まだまだ高額だったストIIIの基板を購入し、秘密裏にビデオの作成に取り掛かります。

知人からの「次何か新作ビデオ出すんですか?」との問いも流し、サークルカットに書く新作予告もぼやかし、イベント当日も販売開始時刻まで机にも並べずお品書きも隠すという徹底っぷり。
普段ならサークル設営の時点で領布物を上映してるんですが、この時は開始時刻まで上映用テレビデオの電源を落とし、何故か横に待機する私。
どう見ても怪しいので集まるお客さん。
販売開始の合図。電源を入れる私。映し出されるストIIIの画面。現れるお品書き。
群がるお客さん。もみくちゃにされて転がる私。慌てる小雪嬢。
と、そんな面白即売会でありました。

一方その頃。
大阪でデザイン会社に勤めつつ対応をしていたTTK氏から
「カプコンの開発陣にスキルスミスは知られてて、喜んでもらってる」
との報を受け、ひとまず胸を撫で下ろしておりました。

コンボビデオの領布というのはコンボ内容の情報自体や解説書がメインの販促物で、ビデオ映像はその内容を確認しやすくする為の無償のオマケ、という名目で運営してます。
作品として扱う場合の質や表現に関しては最大限のリスペクトと配慮をしてはいるものの、結局の所メインはゲーム画面を使っているわけで、怒られたら即撤退、という状況で作成してるものです。
喜んでもらってるとはいえ、権利を得たわけでも何でもないので、「何かあったら即終了する事に変わりはない」という心持ちの中活動を進めていく事になります。

そんな背筋に冷たいものを感じながら活動を続ける自分に対し、TTK氏を通じてカプコンからまさかの依頼が飛び込んできます。

「ストIIIの次回作をテストプレイして欲しい」

最初聞いた時はホント何言ってるのかわかんなかったです。
嬉しさ半分、狼狽半分。

こんな感じで社外から人を招集してテストしてもらうのを「マニアチェック」と呼ぶんですが、カプコン格ゲーで行われたのは我々が最初だったと思います。
プレイスキルというよりシステム解析やそれを組み合わせて考えられる能力、モノを作っている側から話ができる、というポイントで抜擢された感じ。

今だと「調整班」という立ち位置で捉えられるかもしれませんが、フレームが云々というものはほとんど無く、メインはできるだけリソースを増やさないで面白さを盛る提案をしてました。
企画補助みたいな感じですね。

拙いながらもマニアチェックを終え、エンドロールに自分の名前が刻まれる事に。
参加したメンバーと共に喜び、ストIII2ndの稼働を心待ちにしておりました。
が、実際にエンドロールを目の当たりにした時、心がざわつきました。
それは「ここまできたか!」みたいな達成感ではなく、唐突に「果て」を感じたのです。

自分は何になろうとしているのか
この道をいつまで歩き続けるのか

そんな思惑をよそに”スキルスミス”の名は目に見えて大きくなっていき、私自身葛藤しながらも活動を活発化させていきます。

稼働後すぐ作成したストIII2ndのコンボビデオ「IMPACT」で本格的なオフセット本での解説書を作成し、謎に包まれていたストIIIの空中コンボシステムを明確化。
東海の荒鯨きらほえことシャチがメンバー加入。
「ストリートファイターZERO3」のマニアチェック。
「ストリートファイターIII 3rd STRIKE」のマニアチェック。
3rdのコンボビデオ「SOLUTION」作成。

と、2ndのマニアチェック以降のカプコン系での大きな動きとしてはこんな感じ。
他で言うと鉄拳3とかのビデオ作ったり、2ndのマニアチェックにも参加したハンターおじさんことTKO君のプレイでセイヴァーのビデオ作ったり、機材提供&外部プレイヤーの招集に強力なコネクションを持っていたTEX氏の協力でG-DARIUSとかのビデオ出したり、スキルスミスの姉妹サークルともいえる編集担当キラマル君主催「MVS-CLUB」の方にプレイヤーで参加し、解説本やパッケのイラスト執筆陣が引く程豪華なスタグラとかサイバーボッツのビデオ作ったり、他社でのマニアチェック、会社訪問、攻略記事の手伝い等々、スキルスミスのbugとして名前を表に出してない事も色々やってました。

こうして見るととても充実しているように見えますが、自分は何かを生み出す人になりたいと思っているのに、その全てが0からの創作ではない事、カプコンとの繋がりが強くなればなるほど、スキルスミスの名前が大きくなればなるほど圧し掛かる「何かあったら即終了」のプレッシャー等、作業の楽しさで紛らわせるには重すぎる状態になってました。

そんな中、少しでも自分の実にする為、他の担当者に振っていた部分も自分でやる様になります。
パッケージとかラベルのレイアウトやデザイン、OP含む動画の編集なんかがそうですね。
後期のビデオのエンドロールはほぼ全部私になってたと思います。
コレのせいで「bugは複数人いる」っていう都市伝説みたいに思ってた人もいたそうで、後で聞いてちょっと笑ってしまいました。

そんな状態で活動を続けていたある日。

ネットで私「以外」のメンバーが色々言われているという情報を聞いてしまい、保っていた最後の糸が切れてしまいます。
皆気にしてないよ、と言ってくれてはいたものの、それを許容して続ける程の事ではない、とその場で活動停止を決めます。

とはいえいきなり全部ほっぽり出すわけにもいきません。
まずはカプコンにマニアチェックはもう受けれません、すいませんと連絡し、既に決まっていたビデオ作成とイベント出展を粛々と済ませ、福井の実家へと帰る事になります。

今思えばスキルスミスでしてきた事というのは何一つ無駄ではなかったんですが、当時は高卒で定職に就かずに結構な年数を過ごし、作り物の技術も磨いてはいたけど実働にはならない事などがずっしりと圧し掛かってました。
親には伝わらない活動内容ってのもありましたしね。

そんなわけで実家でバイトしながら創作技術を勉強&修練し直そう、と考えます。
そしてこれも今思えば変な事考えてたなと思うんですが、
「今からやろうとしてる事にゲームは邪魔になってしまう」
「もう自分はスキルスミスのbugではない」
と、誇張でも何でもなくここから2年ほどの間、ゲームに対して情報も取らず1フレームも触らないという完全な絶ゲーム生活を送る事になります。

vol.3に続く。

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