伝説の人生を振り返ったつもりが案外普通だった

■まずは自己紹介から入らせていただきます。

当方、伝説のオタク(千葉県 三十台 伝説)と申します。

これは本名ではなく、いわゆるRN(リングネーム)という漫画家さんのペンネームみたいなもので、格ゲー大会の参加時に必要です。

このRNってやつは案外大事なもので「インパクトがあって、下品じゃなくて、覚えてもらいやすい」名前にすると得することが多いです。

付け加えると、街中で呼ばれたり、家族にバレたりしても大丈夫なものにしておくと良いでしょう。(戒め)

そんな伝説のオタクの現在の職業は会社員で、役職は「プロゲーマー」です。

趣味や楽しみはゲーム以外に全くありません。

子供の頃は、将来自分がゲームを仕事にしているとは全く想像もしていなかったのですが、自分がどうして今この仕事に就けたのかな…ってのを振り返ってみようかと思います。

■ゲームとは何か

幼き日の田中がゲームを初めて触ったのは、鳥取のおじいちゃんと一緒に遊んだMSX版「火の鳥」。

これは縦スクロールアクションで、難易度も非常に高く敵のグラフィックも怖いものでした。

今思えば、当時のゲームは理不尽な難易度のものが多く、
作った人に「本当に子供にクリアさせる気があって作りました?」って聞きたいレベルです。

さらに鳥取の浜村にはインターネットも攻略本もなかったので、おじいちゃんと一緒に研究して、ノートに自作攻略本を書いていました。

・ゲームというのは「理不尽なくらい難しくて、そう簡単にクリア出来ない」。

・自分で考えた攻略で一歩一歩クリアを目指していく。

・一人でやるよりも、誰かと一緒にやればもっと楽しい。

それは何年経っても変わらず、俺にとっての「TVゲームの当たり前」になりました。

 

 

■CPU戦から対人戦へと移り、大会へ……

そんなこんなで、その後もおじいちゃんと一緒にドラクエ1とか高橋名人の冒険島とかをファミコンで遊びつつ、小学生の頃にストリートファイター2と餓狼伝説に出会いました。

キャラクターやグラフィックの美しさ、必殺技の爽快感に感銘を受け、
そこからは格ゲーのこと以外何も考えられなくなるくらいハマってしまいます。

この時の田中はまだ対人戦というものをよく知らず、
たまに同級生とやる機会はあれど、基本的には長く遊べるCPU戦ばかり遊んでました。

どんな格ゲーもクリアできていたので、いつしか自分は格ゲーがめちゃくちゃ上手いんだなって思ってましたよ。

そんなこんなで高校生になり、ゲーセンでカプエス2が出たので早速やってみると、
やたらとプレイヤーが多くて、せっかく座れても乱入されるのが当たり前。つまり勝たなければ遊べない。

格ゲーはCPUのパターンを覚えて勝つ以外に知らなかった田中が、いきなり対人戦で勝てるわけもなく、しばらくは知らないお兄さんたちに滅茶苦茶にされる日々が続いていました。

けれどCPU戦にはない奥深さ、読み合いなどを知り、そこからは対人戦ばかりするようになります。

船橋のゲーセンで修行を積み、ちょっと自信がついてきた頃。津田沼のゲーセンでカプエス2の大会というものがあると聞き、ワクワクしながら行ってみるとそこには40人近くの参加者がいました。

隣にいた参加者が「○○さんがいるぜ。△△さんが優勝候補かな?」みたいな会話をしていたのでレベルは高かったんでしょうね。

(そもそもゲームで有名人とかいるもんなんだ……つまり俺が勝てば津田沼で俺が一番有名人になれるのかな……)みたいなことを考え、

高鳴る胸の鼓動を抑えてエントリー用紙に「名前:伝説のオタク」と記入する。

この名前、同級生に麻雀で負けてしまったため、
「田中はゲームオタクだから、オタクって名前で大会出ろよ。かなりヤバイオタクだから伝説とかつけようぜ!」
ってことで、罰ゲームでつけられたものである。

当時は皆、普通に本名でエントリーしており、俺の名前が呼ばれた瞬間ゲーセン内は静まり返った。

田中は「強そうな人がいっぱいいるようですが、今日ここで勝つのは僕だよ。」とささやき優雅に着席する。

そして、相手の先方サガットにしゃがみ強Pを振られてるだけで何も出来ず、一回戦負けで泣きながら帰ったこの日のことを、生涯忘れることはない――。

圧倒的屈辱。この空間いるやつら全員を…俺は絶対に許さない……じいちゃん……俺誰にも負けないくらい強くなるよ、、、と誓った、若き伝説のオタクでした。

 

 

■伝説のオタク:飛翔編

ここまで書いて分かったことがあります。
今18歳ですが、ここから35歳でプロゲーマーになるまで細かく書いていたらとんでもない文章量になる。

ので、ここからは箇条書きで省略します。

①地元の野試合でさらなる修練を積み、もっと大会に出たいと考える。

②センター試験に向かう途中、当日カプエス2の大会があると知り、迷わずゲーセンに入って参加する。(ルート分岐ポイント1)

③なぜか大学受験に落ちて一浪する。「母さんごめん(もう一年遊べるドン)!」

④南行徳のゲーセンでカプエス2が大会があると聞き、遠征するようになる。毎週通うようになったため友達ができる

⑤新宿や横浜のヤバいゲーセンを周り、大都会にもまれて更に強くなる。

⑥仕事中もゲームがしたくてゲーセンでバイトしようと考えるが、理解されず面接で落とされまくる。

⑦強い人が多いと聞き、大阪方面にまで遠征するようになる。

⑧ハタチで闘劇本戦に出場しウメハラに負ける。かなり悔やまれる。

⑨プレイスタイルが気に入られたらしく、海外大会に招待されるようになる。

⑩闘劇を見て、カプエス勢以外の強い人たちとも戦いたいと考え、別のゲームに移動しようと考える。

ここまではよくある平凡な人生だったのですが、大会に参加しているうちに友達が増え、
結果を残すにつれ初対面の人にまで話しかけられるようになっていました。

当時はまだSNSがなかったので、大会結果を「月刊誌アルカディア」で記事にしてもらって、
名前を取り上げてもらった時は本当に嬉しかったです。

そんな日々の中、当時アルカディアのライターだった人とお友達になり、新作格ゲーの攻略ライターをやらせてもらえることになります。

子供の頃、ゲームの攻略本を自分で作るのが趣味だったうえに、ネオジオフリークやゲーメストの愛読者だった自分は狂喜乱舞しました。

振り返ってみると、どうやらバトンを送ってくれたコイチさんと98割くらい似たような人生だったようです。

ここまで一致すると他人とは思えませんね。

 

 

■アルカディアライター編

そんなこんなで、アルカディアライターとして格ゲー攻略を文章にするお仕事をやってきましたが、思考を整理してアウトプットして伝えるというのは案外難しいことなんだなと実感しました。

最初のうちは鬼のような編集さんにしょっちゅう怒られていましたね……

さらに、人とのコミュニケーションもかなり必要とする。

ゲームが強いだけではダメなんだと、ここで初めて知ることとなりました。

そんな中でも沢山の出会いがあり、友達の輪はさらに広がっていきました。

——-

—-

月日は流れ、あらゆる仕事を完璧にこなせるようになり、アルカディア内で超一流カリスマライターとなった頃。

突然ネトゲにドハマリして、数年間そのゲームをやっていました。

世の中には格ゲー以外にも色々な楽しいゲームがあると知り、少し対人の世界から離れていたのですが、

あるとき「恋姫†演武」という格ゲーがゲーセンでリリースされ、、
「八大家戦」という「あらゆるゲームのスペシャリストが集まる招待制大会」があるので参加しないかと「ヘキサメチレン」からお誘いを受けました。

他の参加者の名前を見ると、同年のEVO覇者だった「ガリレオ」君や、キラーマシンの「レイ」君などがいたため、滾る血を抑えられず、久しぶりに格ゲーで本気を出すことに。

地元のゲーセン「船橋ファンファン」で働きつつ、夜な夜な地元の格ゲープレイヤー数名を練習に付き合わせる日々。

俺と一緒にイチから恋姫を始めてくれた「B君」は、俺と対戦していく中で精神崩壊をおこすほど苦労していましたが、負けず嫌いな性格のおかげでなんとか強く育ってくれて、スパーリングパートナーとしても申し分ないくらいに成長してくれました。

その甲斐もあり、俺の八大家戦は準優勝という成績を残すことができました。

久しぶりの本気の格ゲーということで楽しかったのですが、今の時代には「配信」というものがあり、俺の知っている時代とは雰囲気も少し変わっていました。

ここから何故か色々な格ゲー配信に呼ばれるようにもなり、自然と対人の世界に戻ってきました。

そして船橋ファンファンでも配信を取り入れた大会を開くようになり、
伝説のオタクは様々なゲームのお客さんたちと楽しく末永く幸せに過ごしましたとさ。

—-

■最終章~プロゲーマー編~

しかし、そんな幸せな日々にも終わりがきます。

船橋ファンファンの閉店が決まり、今後どうしていくべきなのか悩みました。

何歳になっても、どんな形でもいいからゲームとだけは関わってプレイヤーとして生きていたい。

結論。俺が船橋でゲーセンを建て直すことになりましたが、今の時代に個人ゲーセン経営はかなり苦しいのをよく知っているので、悩みつつも別店舗へ移動させてもらうことに。

そこでまた店員として過ごしていた日々の中。
八大家戦の前に俺のスパーリングパートナーとなり精神崩壊を乗り越えて強くなった「B君」から電話がありました。

「明日の夜空いてません?ちょっと弊社の代表が話を聞いてほしいとのことで。」

特に予定もなかった俺は、呼び出されたお店に向かい、B君の会社の代表から話を聞くことに。

代表「弊社は社内にプロゲーマーのチームを作ろうと考えています。
そのチームのビジョンを聞いて、どう思うか意見を聞かせてほしいです。」

まず、プロゲーマーというのは「勝てなければ終わり。ゆえに安定して食べていけない仕事」だというイメージが強かったので、今までも自分がなろうと考えたことはなかったのですが。

「正社員として雇用し、プロゲーマーが安定して食べていける世の中を作りたい。」と聞き、

「僕がやります!」と即答していました。

普通だったらもっと慎重に動くべきところですが、代表の熱意や言葉が刺さったのと、格ゲーも性格も超真面目なB君の代表なら信用できるって思えたからです。

船橋ファンファン時代の上司にもこのことを話すと、気持ちよく送り出してくれたので、
今の仕事に転職することとなりました。

今に至ります。

 

 

■総括

結局ここまでで何が大事だったのかと振り返ると、30年のゲーム人生でもっとも大事だったのは「実力や実績」よりも、人との「つながり」です。

プロゲーマーになるためには「実力」も必要ですが、それは「大会で結果を出して人の目につく機会を増やす」手段のひとつなんですよね。

これからゲームを仕事にしたい、プロゲーマーになりたい、ゲームが好きで遊んでいきたいと考えるなら、他者と顔を合わせてコミニュケーションを取り、人とのつながりを大事にしてください。

いつもゲーセンにいるプレイスタイルが嫌いなやつと話してみると、実は良い人で一緒に大会やメシに行くようになったり。

いつも後ろでベガ立ちしてくるバンドマンがいきなり芸能人になったり。

顔を合わさなくとも、ランクマでいつも当たって勝てない人に「対戦ありがとうござました。」ってTwitterで話しかけてみるだけでも世界は広がっていく可能性があります。

同じゲーマー同士。絶対に仲良くしろとまでは言いませんが、出会いの一つ一つは大切に。

ゲーマーの輪はどこかで繋がってて、大きくなればなるほど面白いことが起きるものです。

 

想像の300倍くらい長くなりましたが、私からは以上です。

ここまで読んで下さった方、貴重なお時間ありがとうございました。
このバトンは、最近仲良くしてもらってるサムスピ勢の「ユウ」さんに投げます。