スキルスミス必勝ガイド vol.FINAL

vol.1を未読の方はこちらからどうぞ
vol.2を未読の方はこちらからどうぞ
vol.3を未読の方はこちらからどうぞ
vol.4を未読の方はこちらからどうぞ

■:我が巣箱

順調に仕事をこなしていた中での青天の霹靂。
起こった事は重く圧し掛かってきましたが、今までもそうであった様にコレもまた示された道なのだろう、と達観して割と前向きだったと思います。

さて、福井に戻った私は腰を据えようと、今度こそ「創る」仕事に就く為にデザイン事務所など色々探します。
が、履歴書に書かれる前職場のインパクトが強いせいか、何でもやります、とアピールしても「望んでる様な仕事ではないと思いますよ…」と何とも歯切れの悪い断られ方をし続けられます。

そんな肩を落とした私が面接の帰りにふと入ったのはゲーセンでした。
ゲーセン自体相当久々で、大阪では担当タイトルのロケテストかリリース直後を見に行く程度で、とんと遊びには行かなくなってたのです。
ふぅん、今こんなんあんのな…と缶コーヒー片手に店内を散策。
ノーカードでACのデラ(beatmaniaIIDX。この時はハピスカ稼働直後ぐらい?)を久々に触り、やっぱゲーセンはイイもんだなと思いつつトイレに行くと、求人の張り紙が。

あー
何もしないわけにゃいかんし
バイトしながらでも職は探せるか

と、そのまま面接して採用決定。
このゲーセンが今は無き「JoyLand江守店(以下エモジョ)」でありました。

福井というのはかなりのゲーセン激戦区だった時期(1990~2000年辺り)がありまして、私がこの時に採用され、日本で最初に”ゲームセンター”として施設登録されたJoyLand系列と、北陸を軸に現在では首都圏にも店舗を広げるレジャーランド系列が2強としてそれはそれは至る所に建っており、その両系列店共に大体24時間営業という恐ろしい環境だったわけです。

スキルスミスの活動中、短期間ではありますがレジャーランドの方でもバイトしてた事がありまして、その時のエピソードも色々ありますがここでは割愛。

そんなわけで久々のゲーセン勤務となったわけですが、自分としてはあくまでも本職に至るまでの間という事を伝え、次の様な話をしておりました。

「ずっと務めるつもりがないのでバイトから昇格する気はないんですが、もしどうしても、みたいな感じでそういう話が来た場合、どうせゲームに関わる仕事をするならカプコンに戻りますよ。」

と。

カプコンを辞めるという事についてサッと決めはしたものの、それは小さな決断ではなく、自分の中では「ここまで、という事か」とキッパリ折り合いを付けてのものだったわけで、この「カプコンに戻りますよ」というセリフは軽口の様に発してはいましたが、実の所「それはもうない事なのだ」という意味で伝えた話だったりしました。

ということでゲーセンで働きつつ就職口を探し、諸々勉強も進めるという生活が始まります。
間を埋める為とはいえゲーセンもゲームもゲーマーも大切に思っている人なので雑には勤めません。
夕方5時から深夜1時までのシフトで、景品機の対応をメインに色んなゲームの話ができる店員という感じで働いておりました。

エモジョはちょっと辺鄙な場所に建ってたんですが、やたら濃い面子が集まる店で、24時間営業も相まって様々なゲームの稼働率やランキングがえらい事になってました。

そんな店に入ったただのバイト君ではありましたが、自分がいるという事で店にストIII3rdを入れたり、個人所有の機材を使ってデラにサブモニターを導入したりと環境整備も色々と。
デラは初代のロケテストからプレイしてましたが、絶ゲーム期から大阪時代はほぼノータッチという状況。
ここに来てやり込める環境になったという事でダブルプレイを始めて再燃しておったわけです。

さてこの様にゲーム熱が出てる人が24時間ゲーセンで働くという事。
コレはいけません。
早めに行ってゲーム→出勤→退勤→メンテまでゲーム。
それはそれはゲーム充でしたが、色々なものが疎かに。
自分でも状況に気付いてないわけでも無いんですが、すっかりしっかり根は張られ、気が付くと2年程の時間が過ぎようとしておりました。

■:回収

結構イイ歳になりつつあった私。
今から創る仕事に就くのは難しいよなぁ…
そんな事を考え出していた頃、店長からこんな話が。

「好きにしてイイから光陽店の店長やんない?」

コレには痺れました。
JoyLand光陽店といえば高校時代に学校の傍に開店し、通い詰めてスキルスミス発足の原点になったといえる青春の店舗。
のらりくらりと話をかわしつつバイトのままでここまできましたが、色々店舗改善とかイベントのネタもあるし、一気に店長なら…
と、揺れた時に過る

「どうせゲームに関わる仕事をするならカプコンに戻りますよ。」

店側はすっかり忘れていたであろう私の一言。
この言葉、本来「ゲームに関わる仕事をこの先やるつもりはない」という意味で伝えてましたが、ここに来て少し意味合いが変わってきていたのです。

実はこの時点で私を取り巻く環境が変わって福井に留まる必要がなくなっており、言葉そのままの行動も不可能では無くなっていたのです。
そして再び私の前に道が示されました。

【1】…光陽店の店長になる。
【2】…カプコンへ戻る。
【3】…創る仕事を探す。

悩みました。
この時の道は【1】以外見えておらず、【2】と【3】に関しては簡単なもんじゃなかろうというのは目に見えていたので。
そんな中唯一見えている甘美な道を前に、いや、私は最初から決めていたんだ、と退路を断つ為、何も決まっていない状況で店長の話を断ると共に、エモジョを辞める事にしたのです。

店長や関係者に辞意を伝え、残りの期間粛々と勤務。
丁度この期間に闘劇’07の予選があり、折角なので、とストIII3rdの予選を誘致。
福井は近畿・東海地区から比較的移動しやすいのもあってか想定外の面子と人数に。
そんな中、店員としての最後の大イベントだ、と連絡対応や当日の進行、斡旋枠の埋め要因で参加と楽しい思い出になりました。

そして楽しい時間は終わりを迎え、「カプコンへ戻る」という道と向き合う事になります。
退職の時キッパリと付けた折り合いは簡単に払拭できるものではなく、事情があったにせよ自己都合で退職したこと、戻るには難しい歳であることからそれはもう葛藤しまくってたわけですが、同時にこんなことも考えるようになりました。

それでももし自分が必要とされて戻れたのなら、その時は骨を埋めよう。

そうして覚悟を決め、
当時のチーム長とマンツーマンで話をし、
私は自分の言葉通りカプコンへと戻る事になったのです。

■:それから。これから。

ここからは詳しく書けないので猛烈に端折りますが、戻ってからしばらくは色々大変でした。
殺意の波動に目覚めてたと思います。
そんな鬼気迫る感じで仕事をこなしていましたら色々な所の目に留まり、各所から放たれるボールを必死に打ち返しているうちに開発職になっておりました。

そんなわけでこのブログの冒頭で書きました通り本っ当に紆余曲折ありましたが、私は晴れて「創る」職に就くことが叶いました。
こうして振り返ると当時は遠回りだと思ったり無駄な時間だと思ったこともありましたが、実際は何一つ無駄なことなく、

画、映像、音といった創作全般の勉強で得たもの。
様々なゲームをプレイヤーとして遊び、研究して得たもの。
オペレーターとして得たもの。
テスター、分析として得たもの。
開発として得たもの。

これら全てが今自分の血肉であり武器になってるんだな、と思うわけです。

ゲームというのは総合芸術でありサービス商品なので、創る側においてはこういったものが何一つ無駄にならないホントに面白い業種です。
こんな歩み方で辿り着いた人が言うこっちゃない気がしますが、ゲームを創るのは最高に面白いので、何でも吸収して目指す人がドンドン出て欲しいなと思っとります。

戻れたなら骨を埋めよう、そう思ってここに至った私ですが、今もその思いは変わらず、自分を必要としてくれる場所がある限りはここに身を置くつもりです。
また、ここまで引っ張ってきてくれたゲームとその業界、プレイヤーに対して自分ができる範囲で精一杯貢献できればと思っておりますので、何らかの形で見かけた時は応援いただけると嬉しいです。

それから先のことはあまり考えてませんが、自分が持っているものを教えたり残したりしておきたいな、というのと、最終的には駄菓子屋ゲーセン的なものを細々とやってるゲーム好きな変わった爺さんになれるとイイな、って感じですね。

さて、半年に亘ってお送りすることになってしまいました私のリレーブログもこれにて終了です。
長々とご覧になってくださった方々、やきもきしたであろう管理者の山田哲子さん、本当にありがとうございました!

そしてこんなん書いちゃって次誰も引き受けてくれなかったらどうしよう…
と冗談ではなく本気で悩んでおりましたが、高校時代から君こそゲーメストで見て「この人何でもできるんだなぁ…スゲェ…」と長らく密かに推していたマルチプレイヤー&スコアラーであり、現在私と同じゲームの開発職である「木之本まい`ん」さんがバトンを受けてくれることになりました!
どんな形で書かれるのか非常に楽しみです!!

それでは皆様、またどこかで。