ゲーセンとキャラ愛

初めまして、杉山です。
ストリートファイターIII 3rd strikeネクロを使っています。

最近は緊急事態宣言で外に出づらい期間を利用して自宅でシューティングゲームの斑鳩をやっています。
斑鳩を始めたキッカケのひとつは、ホームステイアキラさん怒首領蜂の記録更新をTwitterで見て感銘を受けた事で、更にこのブログを管理してくれているのが奥さんのオカマスクさんという不思議な巡り合わせ。ぜひ書かせていただきます。(紹介してくれたKI君から連絡が来た時も斑鳩ずっとやってた)

バーチャに関して自分は完全な動画勢です。
立ち斜上にしゃがみバックダッシュジャイスイのブンブン丸さんジンさんも書いているセガールさんの「オレはお前を認めない」など数えきれないドラマを見せてくれる熱いゲームだと理解しています。一応バーチャの大会は見てても分からんという事で舜を使ってエンジョイしてました。
最終段位は強者。
ずっと数字段だった自分でしたが、しゃがみから挑腕が出るようになるという(自分としては)衝撃的なアプデから漢字段に。師はマッハ板ザン

ここからは自分の格ゲー感をジメジメと書かせて貰いただきます。

赤絨毯
さて、格闘ゲームイベント史上の最高の大会を聞かれたら何と答えるだろう。
バーチャの大会だったら、山岸さん率いるゲーセン主催のビートラ杯(アテナ杯)、SEGA公式大会の格闘新世紀ベイエリアレールウェイ。優劣つけることのできない大会がたくさんある。
では自分はと聞かれればさすがにサードプレイヤーなのでクーペレーションカップと答える。
しかし、最高の入場は?と聞かれたらビートラ杯と答えてしまう。
アレは本当に凄い。 (以下ただのイチ動画勢の意見です)

これが決勝でいいです。満足しました。って試合が延々と続くビートラ杯予選。
それを勝ち抜いたチームと、更に地獄のワイルドカードを抜けたチームだけが踏むことができる赤絨毯
予選を観終わり、疲労していると決勝トーナメントの配信と同時に選手入場が始まる。
カメラの奥、赤絨毯の手前に入場選手が待機する。赤絨毯の両脇には決勝進出を逃したバーチャプレイヤー達。この構図は毎回楽しみにしているし、ビートラ杯の醍醐味だと思ってる。

セクシー齋藤さんの声で決勝出場チームが赤絨毯を踏みしめる。
その瞬間に襲いかかる拍手と暴力。拍手の中、カメラの前から選手たちが消えて、数秒後現れるボロボロの選手たち。掛けていたメガネが無くなり、帽子は後ろから投げつけられる。
叩かれた選手の背中にいろんなものが背負わされるこの儀式が良い。頑張れ、負けた悔しさ、恨みつらみ、そして魂。
倒されたプレイヤーのビートラ杯にかける想いを背負っていくこの入場シーンを毎回楽しみにしてる。

昔、闘劇にっとさん(強豪サードプレイヤー)に負けて、ディファ有明の廊下で会った時に「決勝トーナメント頑張ってください」と軽い感じで声をかけたことがある。そしたらキリッとしたまま「杉山くんの魂を連れていこう」(みたいな事)を言われたことがある。
その昔から自分はにっと信者なのだけど、これが真面目なのかふざけて言ったのかは分からない。でも、にっとさんらしい立ち回りでとてもかっこよく見えた。
大会っていうのは熱量の塊で出来てるなと感じる。

君、強いね
大会に参加したことがあるプレイヤーなら絶対に経験することがある。
初めてゲームの大会だ。ここでは自分の初めての大会の話をさせてほしい。

サードの大会があるという話を聞いて知り合いの車に乗せてもらい20分くらいかけて初めてのサード大会に向かったのを覚えている。当時はもちろん配信もなく皆で集まってワイワイやるだけの個人経営の小さいゲーセン
ネクロの攻略がまだ進んでいなかった事もあり、初めての大会で2位だった。
「君強いね」
大会後に野試合をしていると、その店の店長に声をかけられた。
礼儀の欠片もなかった自分は「ありがとうございます」と素っ気なく返してしまった。
その店長からすれば、なんだコイツ?と思ったに違いない。
自分は決勝で負けたユンを倒したくて、それどころではなかった。

ただあの決勝で会場の皆が応援してくれた時の興奮は未だに覚えてる。
攻撃が当たる度に皆が叫ぶ、ラウンドを取られても「まだ大丈夫!いける!」と声をかけてくれる。ゲーセンで対戦だけしていた自分にとっては、こんな世界があるのかという驚き。
名前も知らない人達がひとつのモニターを観て一喜一憂する。
野試合では感じることの出来ない雰囲気を、大会に出たことある皆が経験してるんじゃないだろうか。

たまに格ゲーと出会っていなかったら、どんな人生になるのだろうと思うことがある。一般的な生活なら出会うことのない人達と交流して、大会で叫び声上げるってことなんてないだろうなと。通勤通学の電車の中でこれを読んでくれている人、休みに日にベッドの中で読んでくれている人、皆普通の生活を送っているけど、奮い立つものを持っているという共通の感覚。

ホームゲーセンとゴッドプレス
初めての大会で行ったゲーセンにも、そこをホームとするプレイヤーが居るように、ホームゲーセンがある人がほとんど。
知り合ったプレイヤーにホームゲーセンはどこか?と聞くと閉店したゲーセンを答える人もいる。ホームゲーセンに対する思い入れというのがある。

自分のゲーセン人生の始まりは中学生の頃。
上野駅から高崎線という機関車で三日三晩休むことなく走り続けると雨の止まない町がある。気の弱い女性なら聞いただけで卒倒してしまうという町。
日本のマッドシティ『上尾』だ。あるのは絶望と破壊だけ。

そんな上尾で中学生くらいから格ゲーを始めた。カプコン、SNK、データイースト···
子供だったし、メーカーなど分からず新しい格ゲーが出れば遊んでいた。

上尾には清潔で明るい100円のゲーセンもあったが、3階建ての50円ゲーセン【ハイテク】はメンテも行き届いていたし、うっすら暗く、ゲーム環境が良くて、経済的に困難な子供の自分にとっては50円ということもあり重宝していたが、いかんせん治安は悪かった
今のゲーセンの対面スタイルの筐体はほとんどなく、1P側が3階2P側が2階となっていて、延長したハーネスが窓の外を通して各階の筐体同士を繋げていた。
もちろん向かい合ったらケンカが発生するからだ。

そんなある日事件が起きる。
自分は2階でジョジョ遺産をプレイしていて、その隣に2セット並んでKOF(もちろんそれぞれが3階と繋がっている)。
そのうちの1台のプレイヤーがハメを使っていた。
内容は葵花(波動)で飛ばして昇龍で落とすという典型的なご当地ハメ(昔の定番地方ルールをあえてハメと書かせて貰う)。
少しすると3階からドタバタと足音が聞こえる。ハメ()られた対戦相手だ。
そして2階に降りてくるなりプレイヤーの頭をゴッドプレス

※ゴッドプレス参照画像

突然ゴッドプレスされたプレイヤーは状況を理解できなかったに違いない。
ハメを使っていたのは、そのプレイヤーの隣に座っているプレイヤーなのだから。

KOF2台共に、庵を使っていたために怒って3階から降りてきたプレイヤーが1番初めに目に入った“庵を使っている”という条件検索だけで判断しゴッドプレスを実行したのだ。
これがハイテクで有名な“ゴッドプレス事件”
そんな中でゲーセンライフを送っていたので精神面は鍛えられた。

話が逸れてしまったが、長くお世話になったハイテクがオーナーの高齢を理由に閉店してしまった後も、上尾プラボ埼玉ポピーなどにお世話になった。
この間に2人のシューターと仲良くなった。ケイブなどの弾幕ゲーを得意とする池田さんと、グラディウスなどの硬派なシューティングを得意とするTZW-ARTさん

書くのはもちろんスパⅡXでも有名なガイル使いTZWさん。ではなく池田さん(TZWさんは少し前に記事書いてるし有名すぎて書かなくてもいいだろう)。
新しいシューティングが出ると毎回と言っていいほど、開店凸を決めて延々とシューティングをしていた。(戦場の絆もずっとやってた)

この時に彼が斑鳩をプレイしていて自分は後ろでベガ立ちで見ていた。
カッコいいゲーム音楽わかりやすいシステムでいつまでも観てられた。
池田さんは、親しみやすくガチスコアラーだった割にはプレイ中も声掛けていいよっていう感じのナイスガイだった。
ただミスって死んだ時に声をかけてると こちらが罪悪感に襲われるのでプレイ中は基本的に声をかけなかった。

今、20年前に発売したゲーム斑鳩をプレイしていて思うのは、20年前に見た事のあるカッコいいプレイを自分ができている満足感と、20年前に見た事のある動きが(もちろん少しずつ改変されているが)今も変わらないこと
シューターの研究と実行能力は見習うべきものがたくさんある。

そして現在、自分は南浦和に住んでいるため、駅からすぐ近くで、メンテやプレイ環境も良い(治安もいい)【南浦和ビッグワン2nd】でゲームをすることが多い。
斑鳩を大画面で店内で流してくれたり、オーナーのデシカワさんにも飯を誘ってもらったりとお世話になりまくっている。
んじゃ今のホームは南浦和ビッグワン2ndだねと言われたら、自分のホームは昔から【志村ニュートン】と決まっている。

志村ニュートン
自分の職業は臨床検査技師で、所謂 医療従事者だ。
学生時代は学校が新宿にあったので帰りは閉店まで【新宿モア】でサード漬けの毎日を送っていた。そこで出来たゲーセン仲間たちが今のBM二郎のメンバーだ(TMY.S.Bピエロなど、偶 然 下位ランクのキャラクター使いが多い)。
そして臨床検査技師の学生は、進級していくと病院実習というものが必ずある。病院で実習を通して現場を学んでいくという内容で実習期間は半年間続いた。
その実習先が偶然、志村ニュートンの隣駅だった。

当時は大山ニュートンは無く、1号店の志村ニュートンだけだったが、サードは4セットくらいあったしサードプレイヤーも誰かしら必ずいた。
そして現ユニバーサルグラビティ代表 松田さんも店番に入っていってたので喋るためだけに行くことも多かった。
コンプライアンスに引っかかる話しかないのでそこは割愛させていただくが、この人はとにかく熱量が高い。そして理想も高すぎる。
「でっかい会場借りて大会やりたいんだよねぇ」
なんて事を言い出す。
学生の自分は当然思う「いやいやゲーム大会でそれは無理でしょ」と。

それから少しして闘劇開催
あの話してた時にはもう闘劇は決まってたのかなぁと考えながら幕張メッセで大音量で聞くゲーム音楽と実況。そして松田さんの熱量に感動したのを覚えている。

実習が終わり、国家試験を通過したのち、実習病院に就職した。
つまり隣駅は志村ニュートン
ゲーム環境は良い意味で変わらなかった。

闘劇と闘病
自分の闘劇の成績は最高で準優勝だ。
その時のメンバーはRX(ユリアン)と、ロシヒカリ(ヤン)。
個人成績は1勝のみであまりいい思い出はない。
と書きたいが当時はバーチャをやり過ぎてサードに熱が入っていなかった。思い出を語るほどの努力をしていたわけでもなく、RXとロシヒカリにおんぶに抱っこでの準優勝だった(挑腕コマンドしか入れ込んでいなかった自分にとって、久しぶりの挑腕2回連続入力の真空コマンドは技術的に無理だった)。
ちなみに準優勝の前年も、この2人と組んで各予選に出ていたが負け続けて本戦出場すらできなかった

そして10年目、最後の闘劇。
今回は優勝しようと再びRX、ロシヒカリとチームを組む。ニコニコ超会議予選ではシングル戦ながらも個人で決勝まで進めることが出来きた。
出場選手控え室では、あのチビ太さんがいて動画勢全開で滅茶苦茶話しかけた。
結果はハイタニ君のマコトに負けて2位だったが予選が始まったばかりだし、サードをやりこんでいる自信もあったので予選は通過できると感じでいた。
ただゲームのやりすぎか腰痛が気になった。

そして予想通り次の予選大会で無事に予選通過。
腰痛も激しさを増していた。

腰痛の原因がわからないまま生活していたが下半身にまで激痛が走るようになって本格的に危険を感じるようになり、いろんな検査を行った。
1年くらいが経ってCTを撮ってくれた医者に「脊髄腫瘍ですね」と言われた。
聞いたことない病気だったが言葉のパワーだけは感じた。
簡単にいうと背骨の中にある神経が腫瘍となって大きくなって他の神経を圧迫していた。そのため腰の痛みが神経を通して下半身にまで広がっていた。
「手術以外では治らない」と言われ調べてみると、更にマズイ事に10万人に1人といわれる病気で確実に手術できる医者が日本ではいないというのだ。
(手術失敗で)後悔はしたくないと必死で探した結果、日本の大学病院に勤務する脳脊髄学会理事の海外の先生を見つけ半年後に手術となった。

闘劇予選は通過していたが普通に歩くことも出来なくなっていたため、闘劇参加は不可能に。以前松田さんと話してる時に「3on3の大会で3人目がいないと盛り上がりに欠ける」と話したことがある。
「すいません、闘劇は出れません」
「そんなのはどうでもいいよ。早く治せよ」
電話ではそれくらいしか話していなかったけど、松田さんにとって闘劇は、そんなものでも、どうでもいいものでも無いことは分かっていた。早く治そうと誓った。

この動けない期間、毎日楽しみにしていたのは【中野TRF】北斗の拳の配信だ。
全キャラハメ。命は投げ捨てるもの。小足が当たれば死亡。開始2秒で負け。
この無秩序のゲームの頂点に居たのが自分を紹介してくれたKI君だ。
高速ハイレベルなゲームを自在に操作するプレイは病気の事を少しだけ忘れて観ることができた。

入院中は何人もの友人がお見舞いに来てくれた。
その中で埼玉のサードプレイヤー4人が来てくれた。闘劇のチームメイトのRXロシヒカリ、昔から世話になっているビスタチオさん紅春
この4人がお見舞いに来てくれた時に、次のクーペレーションカップでチームを組むことを約束した

背骨を3つ外し腫瘍を摘出する手術は無事に成功し、現在も後遺症として左足のスネ部分の感覚が麻痺したものの日常生活に影響がなく過ごせることになった。

そして3ヶ月後のクーペレーションカップ
自分を含めた5人で優勝を果たした。
あんなに楽しくゲームしたのは久しぶりだった。
半身不随の可能性もあった病気だったので大会に出れるだけでも嬉しかったが、まさか優勝できるとは思ってもみなかった。しつこいようだけど、あんなに楽しくゲームしたのは久しぶりだった。

優勝した時に松田さんがコチラを見て頷いた。
初めてサードの大会に車で行って出場した小さなゲーセン【志村ニュートン】
決勝でにっとさんのユンに負け、2位になった自分に松田さん「君、強いね」と声をかけてくれたあの時から長く続いたサード大会の集大成だったと感じている。
それ以降もレッドブルからボストンに招待していただいて優勝する事ができたりと楽しくサードを続けられている。

友人
長々と書かせて貰ったが最後に友人の話をしたい。
サードを始めてから、知り合った友人だ。こう言っちゃなんだが、こいつはとにかく弱い
初めて会った時はなんの魅力も感じなかった。
ただ縁あってどうすれば強くなれるかっていうのを一緒に考えていて、発売から20年以上たった最近、ようやく意見が合うようになった。
彼がたまに「理屈じゃない 勝ったほうが強いんだ」という。
職人系(弱キャラ使いの良い呼び方)と呼ばれる自分にとって緊張やプレッシャーに負けない言葉として大会前などは意識するようにしている。戦う前からどっちが強いかなんて考えないでいこうと。

そして自分がここまでこれたのも半分は彼のおかげだと感謝している。
ありがとう。

 

延々と語らせていただきました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回はここでも何度も名前を挙げたユリアン動画作成マシーンRXにバトンを渡したいと思います。