20年目を迎えて残したいもの

ゲームプレイで生活して20年

はじめまして。ゲームを仕事にして今年で20年。元ネオジオフリーク&アルカディアライター、そしてゴジライン所属のケンちゃんです。

格闘ゲームでは2Dタイトルメインに遊んでいますが、最近は完全にスマートフォンゲームばかりです。『白猫プロジェクト』の世界では番組にも出させていただいています。現在はもはや格ゲー勢、の枠組みではないのかもしれませんが……。

今回は過去、『ギルティギア』シリーズでは同じ梅喧使い、そして格闘ゲームというよりライブ勢としての付き合いが深いレイさんからご指名を受けました

ゲームに“生かされ続けてきた人生”ゆえ、このeスポーツ時代、僕の経験と考えが何かの参考になるかもしれません。記憶が薄れてくる年齢でもあるので、これまでの経験を文字に残しておきたい部分もあり、今回筆を取らせていただきました。

小中高と対戦ゲーム漬け

1979年生まれの僕ですが、この世代の方々ならば『くにおくん』シリーズで対戦格闘ものにハマり、そのままの流れで『ストリートファイター2』、『キングオブファイターズ』シリーズと格闘ゲームというジャンルにハマった次第です。

高校生の時に通っていたゲームセンター “ジャスパ”では、ゲーセンならではの体育会系コミュニティで育てられました。

そのとき、偶然ネオジオフリークで活躍していたライターさんもそのゲームセンターに通っており、ちょくちょく話すように。その時は若気の至りというか無鉄砲というか。「ゲームの仕事させてください」とか突撃しまくっていて(笑)。

たまたまタイミングがあったんでしょうね。『月華の剣士2』の攻略で呼ばれてゲームライターデビュー。元々攻略やデータをまとめるのが好きだったので、一心不乱にプレイ、ライティングしていました。

『月華2』をスタートに、『武力ONE』、『KOF99、2000』、『餓狼MOW』などさまざまなゲームを担当した記憶。当時は「ゲームライターは強い」なんて幻想もまだあった時期なので、必死に練習して上手い人に喰らい付いていった記憶もあります。

そんな感じでゲーム漬けで受験、大学から逃げ回り続け、ネオジオフリークには2000年(?)の休刊まで寄稿していましたね。

『ギルティギア』とチーム戦

『カプコンvsSNK』の攻略がひと段落したところで。ネオジオフリークが休刊。特に仕事もなく不真面目な大学生として生きていたのですが、そこで出会ったのが人生を大きく変えた『ギルティギアゼクス』という作品。

元々PS版プレイしていたシリーズでしたが、アーケードでも参戦。いろいろな派閥争い(笑)で足が離れていたジャスパに再度通うようになり、「ジャスパ勢」として大会に多数参加していました。

このころ、このあと10年近く一緒に仕事し、今も仲良くしているパチ、ありさかしんやと出逢いました。ネオジオのマイナー格闘ゲームも狂ったように遊んでたなあ。

この時に新宿スポーツランド西口店の大会はすごい人数でしたね。シングル、3on3、5on5などで200を超える人が……。そんな中行われた『ギルティギアゼクス』の全国大会でしたが、2回めの3on3で優勝といい成績を残すことができました。

その時のパートナーは今をときめくときど君と知る人ぞ知る名プレイヤーりき君。当時も今振り返っても、あまりにもレアリティが高いチームでしたが、組むまでにはいろいろ問題も発生しました。

チームメイトを巡るトラブルあるある

この、ときど君&りき君チームを組んだ時に一悶着あった記憶もありまして。

あのとき、胸を張って全国で一番クラスにプレイしていて、勝っている自信もあったため、元々組んでいたチームメイトに物足りなさを当時感じていました。

あの時は「『ギルティギア』は飽きた」的なことも言われていたので、ある意味“ゲームに向き合いすぎた”僕は不満だったんでしょうね。負けるにしても自分が納得できるチームにしたいと途中で抜けることになりました。

そして、決勝大会出場の権利を捨てて、全国大会の前日予選で優勝、そして次の日全国大会で優勝というベストの結果だったのですが、元チームメイトには絶交されてしまって……。

チーム戦のプレイヤー各々の熱量の違い、中々難しいですね。これは2003年から2012年まで続いていた闘劇という全国大会でもいろいろなチームでよく見る光景(風物詩でしたね当時は)でしたので、チーム戦の難しさという部分は当時の経験者ならば皆感じていたのではないでしょうか。

アーケード誌『アルカディア』

まあそんなトラブルもありつつ、『ギルティギアゼクス』で優勝した僕は、元々ライターの経験もあったので、当時ファミ通グループから出ていたアーケードゲーム雑誌『アルカディア』に、元ネオジオフリーク編集者さんに誘われることになりました。

これが21歳。

そこからは大会は嗜みつつも、どちらかというと読者のみなさんにより強くなれるような情報をお届けする、闘劇という全国大会を通じてプレイヤーを目立たせる、という方向に楽しみを覚えるようになってきました。

僕自身プロレスが好きだったので、“バトルと演者”というものを盛り上げるということが好きだったんでしょうね。

アルカディアがなくなる2015年まで、闘劇パンフレットや闘劇魂という格闘ゲーム専門雑誌では、どちらかというとメインストリームではないタイトルを担当させてもらいながら、少しでも盛り上げのお手伝いをしていました。

その間、『ファイターズヒストリーダイナマイト』や『KOFマキシマムインパクト2』では大会でも好成績を残したりしていて、公私ともにとにかくゲーム漬け。フリーゲームライターという立ち位置で好き勝手やらせてもらってました。

今考えるとよくこんな人生立ち回りで生きていけたな、とも思いますが。景気が良い時代だったんでしょうね。

格闘ゲームとゲーセンで得た人間関係

元来、RPGやKOEIさんのシミュレーションゲーム系が好きだった僕は、格闘ゲームの傍ら、怪盗ロワイヤルをはじめとしたモバイル系ゲームにもハマっていました。

数字をちまちまあげる作業が好きだったんです。

格闘ゲームの攻略で飯を食っていくのも厳しいなーと思ってた頃、つぎに進んだのがこのガラケー時代からスタートしたタイトルの攻略。当時は「こんなものゲームじゃない」という論調も多かったですが、明らかに人口も多かったし攻略の需要も感じましたしね。

また、人生に惑っていた僕は格闘ゲームで出会った知人の紹介で、ゲーム開発のお手伝いをさせていただいたり、広告代理店で修行させてもらったり。

そして、今現在も関わっている『白猫プロジェクト』も元々は人のつながり。さまざまな経験をさせてもらっています。

プロを目指すプレイヤーに

なんか、書くことが無限にあるので自分語りはこのぐらいにして。

ひとつの結論として、自分の中でゲームセンターや格闘ゲームを遊んでいてですごく感じたことは、“普通の人生を歩んでいたら出会えなかった人”が多くいただろうな、ということ。

ゲームの仕事をはじめるきっかけも、雑誌のライターと同じゲームセンターだったってだけですし。振り返れば他の仕事も遊びも知人もすべて源流はそこ。

いまプロを目指していたり、プロ活動している人は、「未来がねえだろ!」とかいろいろ言われて惑ったりしますよね。

あまり気にすることなく生活ができるレベルなのであれば、その世界に身を投じ続けることは決して悪いことではないと僕は考えています。

プロに近い、そしてゲームという一般世界からある意味隔絶された異世界にいるからこそ、“ふつうの生活では出会えなかったかった人間関係が多く生まれている”はず。多かれ少なかれみんなそう。

尊敬と感謝は忘れずに。自戒を込めて

大事なのは、その構築した人間関係でその先自分がどうしていくのか。

そこには信頼、仁義など、人と人が関わる上でのマナーを持ち続ける前提はあれど、やりかたによっていくらでも自分の未来は広がっていくはず。

もちろん、それはもらうだけでなく、自分が頑張ることでのその与えてくれた人たちへのお返し、後輩への背中の見せ方もそうでしょう。

すべては“尊敬の念と感謝”。このふたつだけは忘れずに持ち続けてほしいなと伝えたいとともに、自戒も込めて文章にしていきたいと思います。

ゲーム業界でゲームを制作する側ではなくプレイする側で生き続けた僕の今現時点で大事にしていることと言うことで。少しでも何かがに伝わればいいなと。

 

そんな感じで。次回は、ゴジラインでも仲良くしている(?)コイチにバトンを渡します。彼も僕的には“人間との関わりを大事にしている特殊なタイプの人”で友人関係が非常に広いタイプという印象ですが、そんなコイチが「ゲームの輪」というテーマでどう文章を書いてくれるか楽しみです。

彼もまた“普通ではない”やつだからね(笑)。

ではまたどこかで。